おばの子育て日記、 未来にちゃんと届いていました


昨日、姪っ子からLINEが来ました。

いま17歳の姪っ子が、

私が昔書いていた「おばの子育て日記」を読んでいたのです。

しかも、大爆笑しながら。

送られてきたスクショには、

まだ5歳くらいだった頃の姪っ子のことを書いた記事が映っていました。

その記事は2014年のもの。

つまり、今から12年前です。

私は当時、姪っ子との日々をブログに書いていました。


もちろん、ただの記録として書いていたわけではありません。

いつか本人が大きくなったときに、

「あのとき、こんなふうに見守ってくれていた人がいたんだ」

と分かってくれたらいいな、という気持ちもありました。


とはいえ、本当に17歳になった本人が読んで、

LINEで「かわいそう爆笑」「ひとみが優し過ぎる爆笑」と送ってくる日が来るとは。

人生、伏線回収、たまに芸が細かいです。


「どうしてほしかったの?」と聞いた日

その記事に書いていたのは、姪っ子がまだ小さかった頃の出来事です。

姪っ子がパパに怒られて、泣いていたことがありました。


こういうとき、多くの人はたぶん、

「どうしたの?」

「なんで泣いてるの?」

「何があったの?」

と聞くと思います。


でも私は、そのとき少し考えました。

メンタルケア講座で学んでいたこともあり、

ただ状況を聞くのではなく、

姪っ子の中で何が起きているのかを知りたいと思ったのです。


そこで私は、こう聞きました。

「どうしてほしかったの?」

すると姪っ子は、

「パパに見てもらいたかった」

というようなことを言いました。


怒られたことが悲しかったというより、

本当は見てもらいたかった。

できたところを見てほしかった。

がんばったところを受け取ってほしかった。

その気持ちが、泣いている奥にあったのだと思います。


そこで私は、エア双眼鏡のように手を目に当てて、

「ジロジロジロ……」

と姪っ子のことを見ました。

すると、姪っ子は泣き止んで、笑い始めました。


小さな子どもの手にあったのは、

小さなおもちゃだったかもしれません。


でも、その子が本当に持っていたかったのは、

「見てもらえた」という感覚だったのだと思います。


子どもは、問題を解決してほしいだけではない

大人は、子どもが泣いていると、

つい泣き止ませたくなります。

どうにかしたくなる。

説明させたくなる。

理由を聞きたくなる。

問題を片づけたくなる。


でも、子どもが本当に求めているのは、

解決ではないことがあります。


ただ、見てほしい。

分かってほしい。

気持ちを聞いてほしい。

自分の中に起きていることを、

誰かに一緒に受け取ってほしい。

それだけで、涙が止まることがあります。


私はライフコーチとして1対1の対話を続けてきましたが、

大人も子どもも、そこはあまり変わらないのかもしれません。


正しいことを言われたいのではない。

すぐに直されたいのでもない。

まず、自分の気持ちを聞いてもらいたい。

その人の中では、それがちゃんと大事なことだからです。


12年越しに届いたもの

あの記事を書いたとき、姪っ子はまだ小さかった。

当然、そのときに私が何を考えていたのか、

なぜそう聞いたのか、

どんな姿勢で関わっていたのかは分からなかったと思います。


でも12年経って、17歳になった姪っ子がそれを読んで、

「ひとみが優し過ぎる」と笑っている。


私はそれを見て、

ああ、ちゃんと届くものは届くのだなと思いました。


すぐには伝わらないことがあります。

そのときには分からなくても、

時間が経ってから、意味が立ち上がることがあります。


子どもに対してしたことは、

その瞬間に感謝されるとは限りません。

むしろ、ほとんど覚えていないかもしれません。


けれど、どこかに残っている。

そして、本人が大きくなったとき、

「あのとき、そんなふうに見てくれていたんだ」

と分かることがある。


今回のLINEは、私にとって、

12年越しの小さな答え合わせのようでした。


私は、家族のことをよく考えてきた

東北の旅から帰ってきて、

80歳の母との関係についても、いろいろ考えていました。


母と旅をして、

あるご夫婦から

「お二人はフィフティーフィフティーに見える」

と言われたこと。


母を管理する対象としてではなく、

旅の相棒として見られるようになっていたこと。

そのことを記事にも書きました。

その翌日に、今度は姪っ子からこのLINEが来たのです。

なんだか、家族というテーマが続いています。


私は独立して、特に姪が生まれてからは、

仕事だけではなく、家族の時間を大切にするようになりました。


サラリーマン時代は、どうしても仕事優先でした。

でも独立してからは、

自分の時間の使い方を少しずつ変えてきました。


姪っ子の成長に関わること。

母との旅。

父が老人ホームで楽しく過ごせるように考えること。


父には絵の具を持って行ったり、

その場で少しでも楽しめることはないかと考えたりしています。


外から見たら、

それは仕事ではないのかもしれません。

でも私にとっては、かなり大事なことでした。

もしかしたら、仕事よりも時間を使ってきたかもしれません。


家族に対して、どう関わるか。

相手の人生を奪わずに、

でも無関心ではなく、

その人がその人らしくいられるように、

少しだけ隣にいる。


それは、私が仕事で大切にしてきた対話の姿勢とも、

深くつながっているのだと思います。


家族の中で、対話は育っていた

姪っ子に「どうしてほしかったの?」と聞いたこと。

母とフィフティーフィフティーで旅をしたこと。

父が老人ホームで少しでも楽しく過ごせるように考えていること。

それらは別々の出来事のようで、

私の中では同じところから出ている気がします。


相手を変えようとしない。

すぐに正そうとしない。

でも、ちゃんと見る。

その人が何を感じているのか、

何を望んでいるのか、

どんな時間を過ごしたいのかを考える。


それは、派手なことではありません。

誰かに分かりやすく評価されることでもありません。


でも、家族の中でそういう関わりを続けることは、

人の人生に静かに影響していくのだと思います。


12年前に書いた記事を、

17歳になった姪っ子が読んで笑っている。

そのことが、なんだかとても嬉しかったです。


あのとき、私は確かに姪っ子の気持ちを聞こうとしていた。

そして今、姪っ子がそれを読んで、

「ああ、そんなふうに関わってくれていたんだ」

と少しでも感じてくれたなら、それで十分です。


家族にしてきたことは、

すぐには形にならない。

でも、時間が経ってから、

ふいに返ってくることがある。


12年越しに、

おばさんの優しさに気づいてもらえたのだとしたら、

それはなかなか悪くない出来事です。


まあ、本人は大爆笑していましたけど。

それくらいでいいのだと思います。

重く受け取られるより、笑ってもらえるくらいが、ちょうどいい。


おばの子育て日記、

未来にちゃんと届いていました。


こういう出来事が続いていて、

やっぱり私は、家族や人間関係の中にある対話について、

これからも書いていきたいと思っています。

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