鶴ヶ城と白虎隊、そして最後まで米だった旅 -Day 4-

朝は、会津の空を見下ろす温泉から始まった。

東山温泉の御宿東鳳。

ここには、地上約300メートルの高さから会津の城下町を望むような、開かれた露天風呂がある。


この旅では、どの宿も夜と朝で男女の湯が入れ替わった。

だから夜にも入り、朝にも入る。

温泉好きには、なかなか忙しい。

けれど、忙しいと言いながら、しっかり満喫している。


昨夜のディナービュッフェで、あれだけ食べたので、朝はもう軽くていいと思っていた。

その場で握ってくれる小ぶりなおにぎり。

それをひとつ食べれば、もう十分。


そう思っていたら、母のプレートには、おにぎりが三つ並んでいた。

さらに小鉢には、郷土料理らしきものがくまなく載っている。


朝から私の三倍食べる80歳。

恐るべしである。

隣に座っていた若いカップルも、おにぎり三つは余裕で取っていた。


東北の料理は、不思議だ。

全体としては薄味なのに、ひとつひとつの素材の味がしっかり立っている。

だから、満腹の境界線が少し曖昧になる。


「もう食べられない」と思っても、

もう一口、ごはんが入ってしまう。

こんなことは、あまり経験がなかった。


この日は、鶴ヶ城へ行くらしい。

「らしい」と書くのは、旅程表はもらっていたものの、私は直前まで詳しく見ないでいるからだ。

人が決めた旅に、そのまま乗る。

今回の私の旅は、基本的にそのスタイルである。


バスの中で、ChatGPTに鶴ヶ城について聞いた。

鶴ヶ城。

白虎隊。

戊辰戦争。

会津藩。

名前は知っている。


でも、その土地に向かいながら聞くと、情報の入り方がまったく違う。

白虎隊の少年たちは、飯盛山から城下の煙を見て、鶴ヶ城が落ちたと思った。

そして自害した。

けれど実際には、城はまだ落ちていなかった。

その中で、ひとりだけ生き残った少年がいた。


飯沼貞吉。

彼は長く、自分が白虎隊であったことをほとんど語らずに生きたという。

「生き残った人」ではなく、

「生き残ってしまった人」。

その言葉が、バスの座席でしばらく残った。


鶴ヶ城は、今は再建された天守で、内部は展示室になっている。

日本刀の展示室では、少し怖さを感じた。

刃文は美しい。

鍔も工芸品のように繊細。

でも、それは美術品である前に、人を斬るためのものだった。


武士の美意識と、戦いの現実。

その両方が、同じ形の中にある。


展示を進むと、幕末から戊辰戦争へ向かう時代背景が、年表のように現れてくる。

ペリー来航のあたりから、歴史が急に速度を上げる。

一年ごとに、世の中が動いていく。


幕府が揺らぎ、藩の立場が変わり、京都が動き、江戸が動き、会津が巻き込まれていく。

今とは情報の速度も、移動の速度も、まったく違うはずなのに、

なぜこんなにも歴史は急いだのだろう。

不思議だった。


学校の教科書では、ただ暗記していた人物や戦争の名前が、土地に来ると別のものになる。

戊辰戦争。

白虎隊。

松平容保。

会津藩。


名前ではなく、

山に囲まれた盆地で起きた出来事として立ち上がってくる。

鶴ヶ城と白虎隊の話で、私の中に強く残ったのは、時間のずれだった。

1868年。

ヨーロッパでは、印象派前夜。

モネやルノワールが、光や水面や街の空気を描き始めていたころ。


パリにはカフェがあり、鉄道が走り、ドレスの裾が揺れ、近代都市のざわめきがあった。

その同じ年に、会津では、十代の少年たちが「城が燃えている」と思い、自分たちの時代が終わったと受け取り、飯盛山で自害していた。


この並び方は、あまりにも痛い。

実際には、鶴ヶ城はまだ落城していなかった。

けれど、煙の向こうに見えた城下の火災を、彼らは「城が落ちた」と見た。


白虎隊の悲劇は、武士道の美談というより、情報が届かない時代の悲劇でもある。

電話もない。

無線もない。

正確な戦況をすぐに知る手段もない。

見えたものを、自分たちの価値観で受け取るしかなかった。


そしてその価値観の中では、

主君に殉じること、

恥を残さないこと、

武士として終わることが、

十代の身体にも深く入っていた。


でも、こちら側から見ると、どうしても思ってしまう。

まだ生きられたのに。

まだ朝が来たのに。

まだ世界は続いていたのに。


同じ時代、ヨーロッパでは「光をどう描くか」が始まっていて、

会津では「どう死ぬか」が少年たちに迫っていた。


歴史は、同じ年号の中に、まったく違う時間を抱えている。

そんなことを思いながら、城をあとにした。


ツアー最後の食事は、わっぱ飯だった。

田事のわっぱ飯。

わっぱ飯といえば、駅弁などで見たことはある。

けれど本場で食べると、また違う。

ごはんはやや硬め。

薄い出汁の味。

しらす、大葉、白ごま、梅干し。


強い味で食べさせるのではない。

混ぜながら、香りで食べる。

米の味を邪魔しない。


母は、最近私の勧めで買った土鍋で、家でも試してみたいと言っていた。

あれだけこの旅でお米を食べたのに、

まだお米を食べたいと思っている。


東北のお寿司のシャリが大きかった理由が、またここでわかった気がした。

この土地では、ごはんが脇役ではない。

米そのものが、土地の記憶を持っている。


今回のツアーは、シニアのご夫婦がほとんどだった。

一人参加の方もいた。

姉妹で参加している方もいた。

親子参加は、たぶん私たちだけだった。

みんな、よく食べていた。

そして、とても元気だった。

「人生の最後まで、できるだけお金を使うのよ」

そんな話をしている人もいた。


シニアたちに囲まれていると、51歳の私など、まだ子どものように見られる。

ありがたく、参加させてもらっている。


中尊寺。

金色堂。

大谷翔平。

宮沢賢治。

磊々峡。

松島。

瑞巌寺。

会津。

鶴ヶ城。

歴史と祈りのあいだを歩き、

温泉に入り、

星を見上げ、

最後は、料理、温泉、米、米、米。


東北は、景色だけでなく、

一膳の中にも土地がある。


しらすのわっぱ飯。

こづゆ。

山菜。

寿司の大きなシャリ。

たくさん食べる母。


母と歩き、

AIに問い、

土地の記憶を少しずつ受け取る旅。


東北は、深い。

そして、お米が強い。

人々も、静かに誇りを持っていた。


(完)

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