光が通過するまで。

ーーー年末、南向きの午後に。


年末になると、

私は毎年、カーテンを洗う。

特別な儀式というほどでもない。


ただ、年の終わりに、

部屋にかかる布を一度すべて外して、

水を通す。



だから、自然と部屋側の窓も掃除することになる。

カーテンだけがきれいでも、

光が通る場所が曇っていたら、

意味がないから。


冬の掃除には、ひとつだけ条件がある。

寒さだ。

水を使う作業は、

太陽が部屋に差し込んでいる間に終えなくてはいけない。


南向きの窓から、

やわらかく、でも確実に暖かい光が入る、

その数時間だけが許された時間。

タイムリミット付きの掃除。


ベランダの窓をスクイージーでなぞり、

手すりを拭き、

デッキを洗い、

部屋の内側の窓を仕上げる。


洗濯機が回り終わる頃、

まだ湿ったままのカーテンを、

そのままレールに戻す。


干す、というより、

光の中に戻す。


濡れた布が、

少しずつ太陽を含みながら、

部屋の空気と一体になっていく。



それを見ている時間が、

私はとても好きだ。


去年、このマンションは外壁の塗り替えを終えた。

ベランダも、手すりも、

すべて新しい塗装になった。


19年住んでいる場所なのに、

ふとした瞬間に、

「新しい部屋ですね」と言われても

おかしくない顔をしている。


住み続ける、ということは、

変わらないことではなく、

静かに更新され続けることなのかもしれない。


部屋が明るくなるのと同時に、

どこか、自分の内側も静かになる。


ラグジュアリーとは、

何かを足すことではなく、

通るものを、きちんと通すことなのだと、

この午後は教えてくれる。


太陽が傾き始めるころ、

掃除は終わる。

窓は澄み、

カーテンは光を含み、

部屋は、呼吸を取り戻す。


——光が通過するまで。

そうしたら、沈黙していたHPも復旧された。

その間に、全ページをリノベーションした。

プロフィールが物語になっています。(笑)

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