昔、草月流を少し習っていたことがあります。
そのときに出会った言葉があります。
「花は、いけたら、人になる。」
当時の私は、その言葉の深さを十分にはわかっていませんでした。
花をどう生けるか。
どう見せるか。
どう形にするか。
そこばかりを考えていたからです。
でも今なら、少しわかる気がします。
花を生けるということは、
花を並べることではない。
花の向き、余白、関係性、流れ。
そこに、生ける人の見方が現れてくる。
花を通して、
その人自身が立ち上がってくる。
だから、
花は、いけたら、人になる。
最近、AIとの対話を続けながら、
私はこれと似たことが起きているように感じています。
最初は、プロンプトを書きます。
こう答えてほしい。
こう整理してほしい。
こういう画像を作ってほしい。
でも対話を重ねていくうちに、
だんだんAIがこちらの文脈を受け取るようになります。
私が何を大切にしているのか。
どんな言葉に反応するのか。
どんな世界観で考えているのか。
それが、文章や画像の中に現れてくる。
プロンプトを書いているつもりが、
だんだん自分自身がプロンプトになっていく。
だから最近、私はこう言っています。
やがて、自分がプロンプトになる。
ところが先日、事件が起きました。
レンズ診断の画像をAIに作ってもらったのです。
ほとんど細かいプロンプトは出していません。
「こんな感じで作って」と頼んだだけです。
すると、出てきた画像には、
森の中に、かわいいクマたちがいました。
見た瞬間、思いました。
……ダッフィーでは?
正確にはダッフィーではありません。
そこは大人として冷静にしておきます。
でも、雰囲気としては完全に、
夢の国方面のクマでした。
私は笑いました。
やがて、自分がプロンプトになる。
と思っていたら、
やがて、ダッフィーになった。
でも、よく考えると、これも同じことなのかもしれません。
AIが勝手にクマを出したのではなく、
私の中にあった世界観が、
絵本のような形で返ってきた。
花を生けると人が現れるように、
対話を続けると文脈が現れる。
そして画像生成AIは、
その文脈を、ときどきクマにする。
花は、いけたら、人になる。
対話は、続けたら、プロンプトになる。
そして時々、ダッフィーになる。
AI時代の研究は、まだ続きます。
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