朝、部屋の窓を開けると、御所湖が鏡のようになっていた。
水面に、山と空と木々が映っている。
どこまでが本物で、どこからが反射なのか、少しわからなくなる。
風が止まると、世界はこんなふうに写るのかと思った。
昨日の夜は星を見ていた。
今日は朝から、湖に空を見ている。
東北は、空が近い。
そのあと、まずは大谷選手の出身校、花巻東高校へ。(また書きます)
そのあと、宮沢賢治の記念館へ向かった。
私は賢治について、詳しいわけではなかった。
でも半年前、なんだか気になって調べていたから、
この日、この場所に来るなんて、ちょっと呼ばれた気がした。
『銀河鉄道の夜』
『注文の多い料理店』
『雨ニモマケズ』
名前は知っている。
今回も、ChatGPTに聞きながら歩いた。
「宮沢賢治の代表作は?」
「なぜ宇宙が近いの?」
「イーハトーブとは?」
「注文の多い料理店は、なぜ売れなかったの?」
展示を見る。
疑問が浮かぶ。
その場で聞く。
また見る。
旅の途中でAIとやり取りしていると、知識があとから貼り付くのではなく、目の前の風景の中でほどけていく感じがある。
賢治は、文学だけの人ではなかった。
農業。
鉱物。
音楽。
宗教。
宇宙。
外国の文化。
チェロ。
トロイメライ。
エスペラント。
ひとつの人生に、ずいぶんたくさんのものが入っている。
でも展示を見ていると、それらはばらばらではなかった。
石を見れば、地質へ行く。
空を見れば、宇宙へ行く。
農民の暮らしを見れば、祈りへ行く。
音楽を聴けば、物語へ行く。
賢治にとって世界は、最初から分かれていなかったのかもしれない。
私も、ジャンルを分けずに世界を受け取ってしまう感覚には、少し覚えがある。
外食産業からのアパレル業界。
そこからは、
対話。
AI。
文章。
旅。
美術。
音楽。
人の反応。
場の空気。
身体感覚。
それらを別々の箱にしまうより、どこかでつながっているものとして見てしまう。
賢治の展示を見ながら、それも悪くないと思えてくる。
『注文の多い料理店』は、刊行当時ほとんど売れなかったという。
本屋さんが、どこに置けばいいのか分からなかった。
誰に向けて売ればいいのか分からなかった。
子ども向けなのか。
大人向けなのか。
童話なのか。
風刺なのか。
文学なのか。
その「置き場のなさ」が、今になるとむしろ賢治らしい。
分類しにくいものは、最初は売れにくい。
でも、時間が経っても残ることがある。
これは、少しだけ今の自分にも重なった。
AI時代のライフコーチ。
対話設計。
自己探求。
AIコーチ。
旅先での問い。
母との時間。
どこに置けばいいのか、まだわかりにくいもの。
今そこを考えている。
でも、わかりにくいからこそ、そこに何かがあるのかもしれない。
展示の中で見たチェロも印象に残った。
当時170円。
今に換算すると、かなり高価なものだったらしい。
それでも賢治は買った。
弾くことが上手だったかどうかより、音楽に近づきたかったのだと思う。
ベートーヴェンを意識した写真もあった。
黒いコートを着て、風景の中に立っている賢治。
ヨーロッパの芸術家に憧れながら、立っている場所は岩手の土の上。
そのずれが、少しおかしかった。
そして、とてもよかった。
私は旅の途中で、何度もChatGPTに聞いた。
聞くたびに、展示の見え方が少し変わった。
AIが答えをくれるというより、問いを持ったまま見る時間が増える。
「これは何?」
「なぜこうなの?」
「この人は、どうしてここまで宇宙を近く感じたの?」
そう聞きながら歩くと、展示はただの情報ではなくなる。
母と歩き、
風景を見て、
AIに聞き、
賢治を少しずつ受け取る。
不思議な旅の形だと思う。
でも、賢治がもし今の時代にいたら、AIをどう見ただろう。
少し警戒しただろうか。
それとも、面白がっただろうか。
星と鉱物と農業と音楽をつなげてしまう人だから、案外、AIにも何かを聞いたかもしれない。
そしてたぶん、ただ便利に使うのではなく、そこからまた別の宇宙を見ようとした気がする。
朝の湖は、まだ頭に残っている。
風が止まると、世界は鏡になる。
問いを持つと、風景は少し深くなる。
今日の私は、
母と、東北と、宮沢賢治と、ChatGPTと一緒に、
その鏡の中を少し歩いていた。
夜になって、また星を見に行こうという話になった。
夕食を終えて、ロビーを歩きながら、
「今日のケンジ、良かったね」
と私が言った。
すると母が、
「そうねぇ、今日の天気よかったわね」
と言う。
「いやいや、天気じゃなくて、賢治」。
そう言うと、
「ケンジ? そんなケンジなんて言う人いるの?」
と不思議そうな顔をしていた。(笑)
私は今日一日、ChatGPTと宮沢賢治について話し続けていた。
「なぜ宇宙が近いのか」
「なぜ注文の多い料理店は売れなかったのか」
「イーハトーブとは何か」
そのたびにChatGPTが、
「ケンジはですね」
「ケンジって」
と話すものだから、いつの間にか、私の中でも宮沢賢治が“ケンジ”になっていた。
その話をしたら、母が大笑いしていた。
AIと長く話していると、考え方だけではなく、呼び方まで少し移ってくるらしい。
今日も東北の星空が広がっていた。
木星と金星が光っていた。
北斗七星も見えた。
ケンジと天気を聞き間違えた母と、
ChatGPTに影響されて賢治をケンジと呼び始めた私。
東北の豊かな水田と森と星を見ていたら、それはケンジになるなと。
Day 3 は船に乗るらしい。
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