もう今日は見られないのだ、と思っていた。
本数が少ない観光地のバスのバス停めがけて、出口へ向かう道をいそいそ歩きながら、柵もなく、動物たちがそこかしこに息をしているこの不思議な公園で、ひとつだけ心残りがあるとすれば、それだった——孔雀が、開く瞬間。
「開いた」
子供の声が聴こえた。
そこにいた。
一羽の雄が、全身を使って全力でパフォーマンスしていた。コバルトブルーの首、黄金色に輝く胸。そして背後には、直径二メートルにも及ぶ羽根の扇が、ゆっくりと、確かに広がっていた。百を超える「眼」がこちらを見ていた。緑と金と青が混ざり合い、光の角度によって色を変えながら、弧を描いていた。
開きながら、震えていた。
全身が、細かく、絶え間なく。羽根の先端が空気を掻き、その振動がこちらの皮膚にまで届いてくるようだった。音というより、周波数。孔雀が放つ何かが、確かに体の内側に触れた。
これが自然に生まれたものだということが、どうしても信じられなかった。
この公園には八十羽の孔雀がいると聞いた。白い孔雀もいる。ただしそちらとは目を合わせてはいけない——目が合うとどこまでもついてくるから、と注意書きに書いてあった。
フラミンゴの群れの中を歩き、いろいろな種類のフクロウが、ジャングルのような温室に、キリンに手から餌を食べさせる。ハリネズミならば掌に乗せることもできる。柵がないぶん、何が降ってくるかもわからないけれど。
レッサーパンダもこんなに身近に!かわいい。
隣を歩く姪が、何度目かの問いを口にした。
「ここの動物たち、幸せなのかな」
14歳の彼女は、この旅のあいだじゅう、その問いを手放さなかった。
私はしばらく、孔雀を見ていた。震える羽根を、眼を、その体全体から溢れ出す何かを。
「世界の広さを知らないから、ここの中では、幸せなんじゃないかな」
そう答えながら、自分のことを考えていた。知らないまま幸せでいることと、知ってしまうこと。どちらが豊かなのかは、たぶん、知ってしまった側にはもう、わからない。
孔雀はまだ、震えていた。
孔雀のフィナーレで締めくくり、満たされて出口まで急ぐ。
80歳の母も小走りで、バス停まで間に合った!
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