ゴッホ展に出かけた日、私は自分でデザインしたアートTシャツを身につけていました。柄はもちろん「ひまわり」。美術館へ向かうその姿は、まるで“推し活”そのもの。推しのライブに行くように、私はゴッホに会いに行ったのです。
展示では、ゴッホの死後、弟テオとその妻ヨー、そして彼らの子供がどのようにゴッホの作品を世に広めたのかが紹介されていました。ヨーは夫テオの死後、膨大な作品と手紙を整理し、後世に残すために尽力しました。その活動がなければ、ゴッホはここまで世界的に知られる存在にはなっていなかったでしょう。いわば「ゴッホ・プロデュース力」の原点です。
「私は探しているのではない。見つけようとしているのだ。」
謙虚さと先を見据える視点
ヴィンセント・ファン・ゴッホは、画家としての道を歩み始めたのが遅く、27歳から本格的に絵筆を握り始めました。彼の創作期間はおよそ10年に満たない中、その間に描いた作品は2,100点を超えるものと言われており、そのうち油彩絵画は約860点。デッサンやスケッチも含めると、膨大な量を短期間で積み重ねた探究者だったのです。
制作の地を転々とし、画風を変え、色彩を研ぎ澄ます。アルルやサン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズなど、場所を変えること自体が彼にとっての問いであり、発見の場であったと感じました。
「大きなことを成し遂げるには、小さなことを積み重ねるしかない。」
日本への憧れ
今回の展覧会には日本画のコレクションも並んでいました。浮世絵や日本的なモチーフから多大な影響を受けたゴッホは、日本を「明るく、楽しく、キラキラした国」とイメージしていました。遠い異国にそんな光を見出していたことを思うと、同じ日本人として嬉しくなります。
「私は自然を愛する。そして日本の芸術にその愛の純粋な表現を見る。」
テオ・ヨー・ゴッホ・プロデュース力
ゴッホ亡き後、彼の名を世界に伝播させたのは、弟テオ、その妻ヨハンナ、そしてその後代の人々です。手紙に込められた情熱と思想を後世に届ける努力、作品を収集・展示する体制、これらがなければ、ゴッホの「時間を超える画力」は日の目を見なかった可能性が高かったでしょう。
ゴッホは未来を見据えていました。100年先、いやその先も、自らの画が誰かの心を打つであろうという信念を持っていた。繊細さと謙虚さを失わず、どんな状況にあっても彼は筆を置かなかったのです。
「私は夢を描く。そして、その夢を現実にしようとする。」
作品と手紙──“未来に残す”奇跡
ゴッホが残したものは絵画だけではありません。彼は合計903通の手紙を遺しており、そのうち820通は彼自身が書いたもので、83通は彼に宛てられたものとされています。手紙には色彩の考察、自然との対話、孤独や葛藤、そして画家としての誠実な姿勢が刻まれており、作品と同等以上に彼の思考の内側を知る鍵。ゴッホの名言が多いのも、手紙が残っているからでしょう。
「絵は言葉以上に雄弁である。」
時を超えた共有
一緒に行った姪は、「いつかゴッホとテオのお墓に行きたい」と言いました。私もかつて、ゴッホの生涯を知り、やはりオーヴェル=シュル=オワーズへと足を運びました。生と死、名誉と無名、志と伝承が混じり合う場所で、私はこの探求の物語に己も重なるものを感じたかったのです。ゴッホのいた場所を感じられて、感動は深く心に刻まれました。
探求の問いを今、自分へ
ゴッホの探究は、絵を描くだけでなく、「自分とは何か」「この色は何を語るか」「未来は何を意味するか」を問い続けた日々だったのでしょう。
「私は探究している。まだ見つけてはいない。だが、見つかるまで描き続けるだろう。」
この展覧会のメインであるゴッホの自画像は、髪の色に様々な色が塗り重ねられ、印象派の明るいタッチ。しかもパレットまでもカラフル。テオの奥様のヨーは、もっともゴッホに似ていると言ったそうなのですが、ゴッホは、「この顔は、まるで死神のようだ。」と言っていたそうなのです。青ざめた肌、やつれた頬、深く沈んだ眼差し。それでも彼は絵を描き続け、自らの命の炎が尽きるその瞬間まで、色彩を追い求めたのでしょう。
ショップにこの絵のモチーフのトートバックがありました。
姪がこの自画像を気にいっていましたが、顔がアップすぎるので、私のショップで改めてデザインすることにしました。(笑)しかも、ブラック地にしてクラシックに。姪へプレゼントします。
早速、🛒Art-Tee & Thingsにも作品を並べました。
こんなに、ゴッホグッズを買い求める方がいらっしゃるので、私のショップにもつながりを作りたいです。
最近、《花咲くアーモンドの木》のフーディーをデザインしました。
この絵が描かれた背景を知ったとき、胸が締めつけられるような気持ちになりました。
1890年、弟テオに子どもが誕生したことを祝って、ゴッホはこのアーモンドの木を描きました。生命のはじまりを告げるように咲き誇る花々を、大胆にクローズアップしたこの作品。数あるアーモンドの木の絵の中でも、こんな構図はこれだけです。
けれども、この絵を描いてからわずか1年足らずで、ゴッホはこの世を去ってしまいます。甥に贈ったその一枚は、彼の深い愛情と、命のきらめきそのものを封じ込めた作品だったのでしょう。
そしてこの《花咲くアーモンドの木》は、やがてゴッホの名を広め、彼の芸術を未来へと運ぶ役割も果たしました。愛と希望が込められた一枚が、いまも人々の心を揺さぶり続けています。
ゴッホが画家になって、たった10年間の探求。けれど、その密度は驚異的でした。2100枚の絵画と903通の手紙は、時代を超えて未来に届き、私たちの心を動かし続けています。ゴッホの絵の力があったからこそ、家族の尽力も実を結び、やがて時代が追いついた。そう考えると、改めて「奇跡」としか言いようがありません。
そしていつか姪とオーヴェル=シュル=オワーズを再訪したいです。
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