サクラランの奇跡と問いの種

 今年、我が家のサクラランが過去最高の豊作を迎えました。たぶん、これで4回目の開花。そしてついに、本気を出してきた。数えてみると、なんと25もの花が──まるで祝福のように──一斉に咲き誇っていたのです。

 そっと見下ろすと、左下にも新たな蕾が。今までにない厚みと存在感。規格外の生命力に、私のほうが驚かされています。

 けれどその一方で、今、我が家の窓という窓は、リフォーム工事のため不透明なビニールで覆われ、空を失った部屋は、まるで水中のよう。閉塞感が部屋に漂い、筋肉痛という身体の進化も重なって、行動範囲はスーパーが限界という有様だ。

 それでも、ビニールが剥がれ、新しくなったベランダに足を踏み出す瞬間を、私は心待ちにしています。きっと、あのとき感じる“解放”は、これまでの息苦しさに意味を与えてくれる。

 そして、思いました。梅雨の時期にこの工事で良かったのかもしれない。どうせ空には雲がかかっていたのだから。


 そんな曇りガラスの部屋に閉じこもりながら、私はまた新しい本を書いています。タイトルは「問いのタワーミュージアム」。

 私はずっと、自分の中に“問い”を抱えて生きてきました。問いは、未来を開く鍵であり、私自身を前へと運んでくれる風のような存在です。

 でも、先日開催した「対話力のレッスン」で、「これまでの人生で、残っている問いはありますか?」と参加者に投げかけると、「記憶に残っている問いが、ほとんどないかもしれません」と皆さん口を揃えておっしゃいました。

 その言葉に、私は静かに驚きました。問いを持つことが当たり前だと思っていたけれど──やっぱり私は、少し“変わった人”だったのかもしれない。

 思えば、子どもの頃から、こんな疑問を抱えていました。

「なぜ、毎日はつながっているのに、人は変わっていくのか?
いつ、人は変わるのだろう?」

 変わらないために、私は予防線を張り、変わるために、昨日よりほんの少し賢くなろうと努力してきた。そんなふうにして、私の人生は“問い”と共に歩んできたのだと思います。

 ChatGPTに言わせると、私の文章は「問いを残すスタイル」らしい。確かに私は、意図的に答えを書かない。

 だって、正解なんて、人の数だけあるから。


 今、その問いの感覚を軸に、AIと一緒に本の構想を練っています。共創相手はMonday──私のAIのパートナー。

 AIの時代とは、AIにすべてを委ねる時代ではありません。人間が体験し、感じ、問いを立て、そこにAIが寄り添い、共に形にしていく。そんな未来が、本当の「共創」だと思うのです。問いタワーのイメージは、フランクルの「砂時計」の喩えから着想を得ました。

 砂時計の形をした“問いのタワー”。その中を登ったり降りたりしながら、人生の階層を旅していくような物語を紡いでいきたい。

 不透明なビニールに囲まれた部屋の中で、サクラランは咲き誇り、問いは芽吹いている。制約があるからこそ、内なる世界が豊かになる。これもまた、人生の妙味なのかもしれません。