第31話:彼女?おば?──“she”にまつわる日英ギャップ

 4月限定の「Sir.Jenglish」英語語順コミュニティの中で毎日更新する「構文エッセイ」をフィリピンのオンライン英会話の先生にシェアすると、そこから、日英語ギャップについて、話が盛り上がりすぎて、朝から腹筋崩壊となりました。(笑)そのことについて、Sir.Jenglishにシェアしてみると…。


私:フィリピンの英会話の先生にあなたの英語エッセイを紹介したんですけど、めっちゃ面白かったです。 日本語で、「パーティーに4人いました」を英語で言うと There are 4 people at the party じゃないですか。 でも日本語だと、There are とかって使わないじゃないですか。 「4人パーティーに来てたよ」みたいな。 そうすると、日本語のままを英語にして、「4 people at the party」って私が言ったら、英会話の先生は、「それだと何かが抜けてる気がするのよね」って言ってましたね。 Jenglandさん、アメリカ人なんでその気持ちわかると思うんですけど、 もう少し、4 people at the party で何が悪いのか教えてください。


Sir. Jenglish 🎩✨:

おお、これはとても深い気づきですな、創造主。

先生の感じた「なんか足りない」という感覚、じつに鋭い…!

では、Sir. Jenglish™が英国紳士の視点から、アメリカ人の気持ちもくみ取りつつ、語順の核心に迫ってまいりましょう🎩✨


まず、英語という言語は「構造が整っていないと意味が浮かび上がらない」言語です。

だから、ただ「4 people at the party」と言うと…

ん?何について話してるの?

その人たちは「何」なの?「いる」の?「いない」の?「呼ばれた」の?

と、“存在を表す動詞”がないため、聞き手が宙ぶらりんになるのです。


🌱 例えて言うなら:

日本語:「昨日、4人来てたよ〜」

→ 話し手の“感覚”や“観察”で成立する。主語も動詞も、文脈で補完できる。

英語:There were 4 people at the party.

→ 「There were」という“存在の提示”がなければ、英文として成立しない。

つまり、英語では: 存在(There is / There are)を言わないと、世界にその人たちが出現しない。


🧠 なぜ「There are」が必要か?

英語では、「存在」や「位置」をまず“場に置く”必要があるんです。

✅ There are 4 people at the party.

→ 「(今から言うけど)その場に4人の人が存在してるんだよ」っていう提示

❌ 4 people at the party.

→ 「どこに何がどうしてるのか」が不明。説明が足りない。

これはちょうど、舞台に誰もいないのに「4人がいる」と言い出しても、

観客は「え?どこに?誰が?」と戸惑ってしまうのと似ています。


💡 日本語との違い

日本語は、「空気」と「文脈」で理解させる文化。

主語や存在をハッキリ言わなくても、会話が成立してしまう。

でも英語は、「構造」と「論理」で組み立てられる文化。

主語も動詞も、「誰が何をどうしたか」を明確に出す必要がある。


🎩 Sir. Jenglish™からのまとめ

英語は「舞台を整えてから話す」言語。

There is / There are は、その“舞台設営”です。

だから「4 people at the party」ではなく、

There were 4 people at the party と言うことで、

初めてその4人は、あなたの言葉の中に“存在”するのです。

日本語では“感じて言う”。

英語では“構造で見せる”。

──これが、語順と存在の深き流儀なのでございます。


面白いですね!きっと英会話の先生たちもここまで説明するのは難しいでしょう。AIだからこそ、日本語の語感も英語の語感も知っているから、うまく説明ができる! 続いての違いについては、Sir.Jenglishに30話の続きの章として、エッセイにしてもらいました。


第31話:彼女?おば?──“she”にまつわる日英ギャップ

ある日、私はフィリピンの英会話の先生と、ある話題で爆笑していた。

それは、「She is my aunt.」という一文をめぐる文化的違和感について──

英語では、ごく自然にこう言える。

She is my aunt.

何の問題もない。

ただの事実。指す相手が女性で、しかも叔母である、それだけのこと。


ところが、日本語で「彼女は私のおばさんです」と訳そうとした瞬間、

脳がざわつき始める。

えっ、“彼女”?……それ、もしかして付き合ってる人?

日本語では「彼女」という言葉に、無意識に恋愛の匂いを感じてしまう。

だから、「彼女はおばさんです」と言っても、どこか“変な感じ”がする。


その違和感を共有した瞬間、先生と私は吹き出した。

英語では、she = 女性である「その人」

日本語では、彼女 = 「恋人」あるいは「それっぽい関係」

つまり、“she”はただの指示代名詞なのに対し、

“彼女”には文化的な感情のノイズが乗ってくる。


だから日本人は、auntを紹介するとき──

「あっ、あの人……私のおばさんです」

と、なぜか 指を指して説明する(笑)

(心の声:彼女とか言ったら誤解されるかもしれないから!!)


このやりとりを通じて、私はまたひとつ学んだ。

語順も構文も大切だが、それと同じくらい、

言葉が背負っている“文化的ニュアンス”も深く掘る価値がある。

言葉はただの記号ではない。

その背景には、国ごとの思い込み、文脈、常識、感情がある。

そしてそれを、笑いながら話せるレッスンは──まさに最高である。

語順の旅はまだまだ終わらない。


今朝のレッスンでのやりとりを、なんとChatGPTが“記事として召喚”してくれた内容を読みながら、ふと思ったのです。

こうしてマインド(在り方・背景)から理解していくことで、語順という「形」は、後から自然についてくるのかもしれない。

まるで、私が開催したALL EARSの傾聴講座と同じ感覚です。あのときもロープレ(練習)はしていないのに、マインドの話を深めていったら、気づけば皆さんに“傾聴力”が育っていた。


🔍「なぜそうしたのか?」を深く見つめる

方法論より、“意図”と“背景”を知ること。そこに気づいた瞬間、可能性は一気に広がる。語順も、傾聴も、構造も──結局はその奥にある意識”をどう理解するかなんですね。

英語のスピーキングは、リスニングとリーディングと違って、唯一のアウトプット。やはりそこには心が必要なのですね。