大阪出張2日目は、京都市京セラ美術館で行われている「蜷川実花展with EiM:彼岸の光、此岸の影」へ。たまたまマティスについて調べていたときに、この美術展を知り、皆さんと一緒に行くことになりました。
この展覧会は、光と影、生と死、現実と夢幻といったテーマを通じて、鑑賞者自身が自身の内面と向き合う機会を提供しています。展覧会の見どころの一つは、約4,000本以上の彼岸花が作り出す真紅の空間や、10万個ものクリスタルパーツが呼び起こす多層的な記憶や感情を喚起するインスタレーションです。これらの作品を通じて、鑑賞者は異界を巡る旅路のような体験を味わうことができます。
最近、没入型の美術展がますます増えています。印象派やゴッホのプロジェクションマッピング、チームラボ、坂本龍一展など、どこへ行っても「体験型」「没入型」が主流になり、美術館に足を運ぶ若い世代も増えてきました。こうした変化には時代を感じます。
私自身もすっかりこのスタイルに慣れてしまい、「ああ、またこういう感じね」と思うことが増えてきたのですが、蜷川実花さんの美術展はちょっと違いました。
というのも、映像作品だけでなく、手作りの作品が大半を占めていたからです。1つ1つの作品には確かな時間の流れが感じられ、「手で作る」という行為そのものが展示の一部になっているように思えました。しかし、それを鑑賞する側にとっては一瞬の出来事。じっくり見て感じたいのに、ものすごい混雑で、思うように鑑賞できないのが残念でした。混雑が少ないときと多いときでは、作品の見え方がまったく違うんだろうなぁ……。スタッフの注意喚起の声もひっきりなしに聞こえてきて、なかなか没入できなかったので、結局2周しました。(笑)
また、作り手の意図や「体験者にどう感じてもらいたいか」という部分は、正直ちょっと難解でした。でも、私が特に印象に残ったのは、花が咲き乱れるエリアです。
ふつう、花は季節ごとに咲くものなのに、ここでは春・夏・秋・冬の花がすべて同時に咲いている。その光景は、まるで「あの世」のようにも見えました。夢のように美しい空間だけれど、よく見ると、ありえないほど多くの花が一斉に咲いていることに気づきます。その異様さが、どこか幻想的でありながら、おどろおどろしい印象も残しました。
さらに、その先には上下左右すべてが鏡張りの部屋があり、立っているだけでくらくらするほどの映像体験が待っていました。後で説明を読んでみると、そこは「輪廻転生」のエリアだったようです。(笑)
没入型の美術展が増えるなか、手作りの作品が持つ温かみや、ノスタルジックな感覚を味わえたのは新鮮でした。美術の表現方法はどんどん多様化し、「観る」だけではなく「体験する」ことが求められるようになってきています。でも、結局「何を感じればいいの?」と迷うことも多くて……もう、正直よくわからない。(笑)
いつのまにか、印象派の絵のほうがよっぽど理解しやすく感じるようになっている——そんなパラドックス。没入型アートは、感覚で受け取るものだから、体験する人によって解釈もバラバラ。感じ方そのものが多様性に満ちている。それもまた、今の時代を象徴しているのかもしれません。
だからこそ、没入型アートは『理解するもの』ではなく、『感じるもの』なのかもしれない。そう考えると、これまで『理解すること』を重視してきた私の美術鑑賞も、またひとつ新しい感性を磨くきっかけになったのでしょうか。とはいえ、作り手の意図の説明があるほうが、没入型アートももっと楽しめる可能性はある。感じるアートに対して、どこまで言葉にするべきなのか? それとも、言葉にせずそのまま受け止めるべきなのか?――結局、私はどの世界線で生きるのか?(笑)
◎動画にまとめました
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