いけばな:姫水木・ラナンキュラス・セネシオ

 新月の朝からいけばなをしております。お稽古中は、毎回何が何だかわからないまま終わるので、私は改めて自分でいけてみないと、腹落ちしないタイプだなと思います。巨匠のいけたものの写真を見ながら、その足跡をたどってみると、ようやく「なるほど」と、わかることだらけです。

 いつもいけようとして、草木の茎の根元を持って挿すものだと思っていましたが、巨匠の手つきを思い返してみると、茎の首の方を持って、隙間から花をそっといれて下に下げていき、最後に挿す感じ。重力の通りでよかったのかと、腑に落ちました。

 あとは、曲がった枝など、見た目いけにくいものも、曲がったところを観ているからそう感じるだけで、上のまっすぐしたところにフォーカスして、そのまま降りて挿せば、枝の曲がり具合は、全く問題でなくなる。草木と向きあう視点が、ちょっとわかったように感じました。だから、巨匠は即興で出来るのかなと想像しました。

 枝も茎も曲がっていたはずなのに、いけおわると、挿し口もすべてまっすぐ。根元がきれいないけばなとなりました。

 そして、ラナンキュラスが3本中1本、花納品時から茎が折れていたのですが、巨匠はさらっと、花の部分だけ残して、いけばなの花器に花を浮かべて見せました。そんなの問題じゃなかった。むしろ、水に浮かんだラナンキュラスは、ロータスのように、神秘的なオーラを発していました。