昨日の夜、バディから「明日、蓼科山に行かない?」と連絡が入った。
蓼科山。標高2,531m。
登山を始めて4年になるけれど、登る頻度は年に4回ほど。1,500m越えの塔ノ岳には登ったことがあるものの、2,500mを超える山は未体験だった。
普段の私なら夜中の3時に寝ていることもある時間帯だ。けれどその夜は21時に布団に入り、翌朝3時20分にアラームで起床。4時、迎えに来てくれたバディの車に乗り込み、まだ静まり返った東京をあとにした。
サービスエリアで熱々の豚汁朝食セットをかき込み、車を走らせること数時間。7合目の登山口に到着したのは9時前のことだった。
最初から最後まで、石と歩んだ道
9時24分、登山開始。
足を踏み入れた瞬間から、そこは土の道ではなく、一面の「石」の世界だった。
歩き始めからゴロゴロとした大小の石が敷き詰められており、登るにつれて中くらいのもの、そして足場を覆う大きな石へと表情を変えていく。ジャリジャリと足元が鳴る場所もあれば、慎重に乗り越えなければならない大きな石の重なりもある。息を整えられるような平らな土の場所は、ほとんどない。
「この山、本当にずっと石なんだ……」
一歩一歩、石の上に足を置き、身体を引き上げていく。
10時19分、天狗の露地を通過。途中、静けさに包まれた美しい苔の道に癒やされつつも、足元は相変わらず石の連続だ。
10時59分、最初の拠点である蓼科山荘に到着。ここで息を整え、再び山頂を目指す。ここからはさらに大きな石が重なり合う、本格的な登りになっていった。
ようやく山頂ヒュッテの姿が見えたのは11時59分。
そして12時7分、ついに蓼科山の頂に立った。
自分の足で2,500mを超える高みへ辿り着いた瞬間だった。山頂で1時間ほど過ごし、13時20分に下山を開始。途中の山荘を経て、15時45分、無事に7合目登山口まで戻ってきた。
山の中にいた時間は約6時間20分。歩いた時間は実質5時間ほどだったが、体感としては「ずっと登り、ずっと下り続けていた」という感覚だった。
「疲れ」と「痛み」と「眠気」の正体
下山後、GPT教えてもらった温泉「小斉の湯」へ向かった。
露天風呂に浸かった瞬間、緊張していた筋肉がゆっくりと解けていく。18時に温泉を出て、サービスエリアを巡りながら帰路についた。21時28分、談合坂サービスエリアで食べた「ゆず蕎麦」の出汁が、全身にしみ渡るようだった。
家に帰り着いたのは23時過ぎ。
朝3時に起きてから、すでに20時間以上が経過していた。
普通なら泥のように眠りにつくところかもしれない。けれど私は帰宅後すぐに洗濯機を回し、砂埃のついた登山靴を洗い、使った道具をすべて整えた。そして今、こうしてPCに向かって文章を書いている。起き出してから22時間が経とうとしているのに、頭は驚くほど冴え渡っている。
今日の一日で、自分の身体について強く実感したことがある。
「私には、体力がある」
登っている最中も、スタミナが切れて動けなくなるような感覚はなかった。途中で歩みがノロノロとしたものになった理由は、体力不足ではなくまったく別の場所にあったのだ。
ひとつは、不安定な石の上を歩く「技術」。
大小さまざまな石のどこに足を置けば安全に体重を乗せられるか。下りでの瞬間的な判断の連続に、まだ頭と身体の処理が追いついていない。
そしてもうひとつは、「道具」だった。
4年前に買った登山靴。履き始めた頃から薄々気づいていたのだが、下りになるとどうしても靴の中で足が前滑りし、つま先が圧迫されて痛む。今回もその痛みをかばうように下りていた。下山後にサンダルへ履き替えた瞬間、足の痛みは嘘のように消えた。つまり、痛んでいたのは私の足ではなく、靴との相性だったのだ。
この身体は、もっと先へ行ける
「体力がある」という言葉の中には、きっといくつもの要素が混ざり合っている。
私の場合、長時間活動していても集中が切れにくいことも、体力の一部なのかもしれない。
私は昔から、移動中やイベントの最中に眠くなることがほとんどない。目覚ましを使わなくても決まった時間に必要な睡眠をとれば自然と目が覚め、身体を極限まで動かした日でも、こうして深い集中状態に入ることができる。この覚醒の維持力も、私の大切な体力の一部なのだろう。
前日に突然決まった2,500m級の挑戦。
年に4回しか登らない私が、朝3時に起きて、あの石の山を登り切り、22時間経っても元気に文章を書いている。
「もっと体力をつけなきゃ」という言葉は、不思議と出てこなかった。
それよりも、自分の足にぴったり合う靴を履き、あの石の道を滑らかに歩く技術を身につけたとき、この身体はどんな景色を見せてくれるのだろう――。
疲労感の向こう側で、そんな未来の歩みに思いを馳せている。
(蓼科山の美しい石や苔、山頂の静寂については、また次の機会に)
0コメント