森英恵さんへ
こんにちは。
正直に言うと、あなたのことをほとんど知らずに会場へ向かいました。
名前しか知らなかった、というのが本当のところです。ウエディングドレスの人、というイメージがあったけれど、それも今思えば、桂由美さんと混同していたのかもしれません。
先日、「ピカソ meets ポール・スミス」展を見に、同じ国立新美術館へ行きました。会場の入り口には、あなたの展覧会の看板もあったのに、そのときは行くつもりがありませんでした。
ファッション自体には興味があるのに、なぜか足が向かなかった。昭和の人、という距離感があったのかもしれません。あなたの服を、実際に着たこともありませんでした。
それでも今回、展覧会に行くことにしたのは、愛子さまが会場を訪れたと聞いたからです。きっかけは、それくらい軽いものでした。
でも会場に向かいながら思ったのは、この人はどんな人生を送ったんだろう、という純粋な興味でした。何も知らないから、最初から全部調べながらでないと追いつけない。だから、AIと一緒にあなたのことを調べながら、展示を見ていくことにしました。
会場に着いて、まず驚きました。
約400点。オートクチュールのドレス。資料。初公開の作品。しかもその大半が一点もの。値段のつけようがない仕事が、400点分並んでいる。
その中で、私が思い描いていたウエディングドレスは、たった2着でした。
400分の2。
私はあなたのことを、ほんの少ししか知らなかったんですね。
会場で知った言葉に、「Vital Type」というのがありました。1961年、雑誌『装苑』であなたが打ち出した人物像です。快活で、努力を惜しまず、生命力に溢れた女性。働く。母になる。妻でもある。そして美しくある。当時としては当たり前ではなかった女性像を、あなたは言葉として先に世に出していたんですね。
会場を歩きながら、ドレスの変化に気づきました。
ニューヨーク時代のあなたは、日本を紹介していました。帯地。縮緬。菊の柄。「これが日本です」と差し出すような服。
でも1977年、パリのオートクチュール組合に入ったあたりから、何かが変わっていきます。テーマは「花」だけでなく「墨絵」や「白と黒」にも広がって、1988年には黒一色の大きなドレスまで発表している。蝶だけは最後まで手放さなかったけれど、「日本を紹介する」という縛りからは、少しずつ自由になっていったように見えました。
説明する人から、ただ作る人へ。
あなたも、こうやって変わっていったんですね。
会場には、布を染めるところから服になるまでの過程を追った映像もありました。あれを見て、震えました。一点のドレスのために、染めて、織って、縫って、刺繍して、どれだけの時間をかけているんだろう、と。そこまでして作る世界に、あなたは生きていたんですね。
しかも、ただ作るだけでは足りませんでした。パリのオートクチュール組合に入るには、厳しい規定がある。創造性。技術力。パリにアトリエを構えていること。1977年、あなたはそれを東洋人として初めて突破しました。高度経済成長期、まだ洋服という文化そのものが日本に浸透しきっていなかった時代に、新しい表現に挑み直して。まるで、日本からもう一つのクチュールの扉を開けた人のように。
『流行通信』に載っていた「私の一日」も読みました。
銀座店へ向かい、原稿を書き、海外ジャーナリストと話し、スタッフと会議し、取材を受け、庭の緑を眺め、新しい企画を考える。ドレスを作っている時間より、それ以外の時間の方が長いんじゃないかと思うくらいの一日でした。
あなたはデザイナーである以前に、編集者だったんですね。
日本の色。柄。文化。感覚。それを世界語に翻訳していた。
後から、いろいろ調べました。
1961年、初めてパリを訪れたあなたは、シャネルのショーに感銘を受けて、彼女のサロンでスーツを注文しています。シャネル本人から「あなたの黒髪には、鮮やかなオレンジが似合う」と言われたそうですね。
似ているだけの関係だと思っていたら、本当に会っていた。しかもその一言が、その後のあなたのデザインにまで影響したらしい。
そして1977年から2004年まで、27年間。パリで年2回のペースでコレクションを発表し続けた。単純計算で50回近く。ブランドが何十年も続く例はあっても、創業者本人がそれだけの回数、第一線で作り続けた例は、そう多くありません。
同じ人間とは思えません。
まだ洋服という文化が浸透していなかった時代に、どうやって興味を持ってもらうか。雑誌。テレビ。映画。芸能人に着てもらうこと。雑誌の表紙にまでこだわること。あなたは、服を作る以外のところでも、ずっと戦っていたんですね。そうやって、世界のデザイナーと同じ場所に立った、日本人になった。
そもそも、洋服屋になりたかったわけではなかったんですよね。「女の生活の独立」のために、手段としてファッションを選んだ。目的が先にあった。
これは、時代に必要とされて生まれてきた人の人生なんじゃないか、と思いました。シャネルもそうだった。マイケルもそうだった。使命のある人生、というのでしょうか。
こんなに壮大な展覧会は、そうそうないと思います。
ドレスを見に行ったつもりでした。
でも私が持ち帰ったのは、一人のクリエイターの人生そのものでした。約400点のドレスと、資料と、雑誌と、映像。会場に、2時間くらいいたと思います。
素敵なものを、地球に残してくれて、ありがとうございました。
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