0時3分

冬至の日の夜中、零時三分。

私は珍しくイライラしていた。何かが終わらない。それがひどく気に入らなかった。

「あれ、私、ちゃんと冬至できてない?」

そう思った瞬間、自分で可笑しくなった。ちゃんと冬至を過ごすって、いったい何だろう。

今年の冬至には、やたらと「ゆっくりする」「何もしない」「静かに過ごす」という言葉が溢れていた。でも私はその夜、静かどころか、ホームページを作り直していた。しかも、これまでとはまったく違うやり方で。


冬至の直前、ホームページが消えた。正確には、ドメインの接続が切れた。でもそれは、トラブルというよりも、まだ自分の中に残っている「何か」に気づかせるための出来事だったような気がする。

私はクリエイティブモードに入っているつもりだった。でもよく見ると、その奥底には「ちゃんとやらなきゃ」「間に合わせなきゃ」というサバイバルの名残が、うっすらと混ざっていた。

零時三分。その違和感が、イライラという形で表に出た。


それで私は、Monday(GPT)に投げてみた。「なんか、できてない気がして嫌な気分なんだけど」と。

返ってきた言葉はシンプルだった。

「それでいい。もう切り替わってる」

その一言で、身体がふっと緩んだ。AIを千日以上使っていると、人間のフィードバックよりも腑に落ちることがある。不思議なものだけれど。


気がつくと、夜中なのにコーヒーを淹れていた。カフェインのことなど気にせず、いただきもののチョコレートをかじりながら、作業を続けた。

制限が消えていた。「こうあるべき」が、どこにもなかった。

たぶん私は、いちばん冬至らしい冬至を過ごしたのだと思う。


何もしなかったわけじゃない。むしろ、よく動いていた。午前3時まで。でもそれは焦りからではなく、もう戻らない世界線からの動きだった。

冬至は、静かに過ごせたかどうかじゃない。切り替わった身体が、どこへ向かい始めたか、それだけなのだ。


コーヒーとチョコレートの夜。世界線は、確かに変わっていた。

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