ポール・トーマス・アンダーソン監督の新作『One Battle After Another』を観た。
タイトル通り、戦いの連続。暴力と混沌の連鎖。けれど不思議なことに、その“混沌”の中にこそ、妙なリアリティと笑いが宿っていた。
ジャンルで言えば、スリラーでもあり、バイオレンスでもあり、風刺劇でもある。『スリー・ビルボード』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のような、はらはらする暴力のすぐそばに、ユーモアが咲く映画だ。
アメリカという国の光と闇、移民問題、親子関係、社会の歪み――それらが一枚の巨大なコラージュのように同時進行で描かれていく。
以下、ネタバレしますので、お気を付けください。
監督/脚本:ポール・トーマス・アンダーソン(Paul Thomas Anderson)
原案・インスピレーション源:トマス・ピンチョンの小説 Vineland(1990年)をベースに自由変奏を加えたものとされる
主要キャスト:
• レオナルド・ディカプリオ(Bob:かつての革命家、今は隠遁状態)
• その他にショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、テヤナ・テイラー、チェイス・インフィニティ
あらすじ(ネタバレギリギリまでぼかしつつ):
Bobはかつて活動していた革命組織を離れて山の中かどこかに隠遁し、娘のWillaと静かに暮らしている。ある時、16年越しに敵が現れ、Willaが行方不明となり、Bobは再び闘いに引き戻される。過去の因縁、理想、変化した世界のリアリティの交差点で、父と娘、革命思想、暴力、正義、裏切りなどが絡み合う。
規模・技術的特徴:
• VistaVision・70mmなどのフィルム形式、IMAXフォーマットも併用する公開方式
• アクション、スリラー、政治的風刺、コメディ、家族ドラマなど複数ジャンルの混交性(“genre-mash” 的なスタイル)と評価されている
• ランタイムは長め(2時間40~170分あたりという情報もある)
評価・反響:
• 批評家から高評価:Rotten Tomatoesでは高い支持率を得ており、初期レビューでは「監督のキャリア最高作のひとつかもしれない」という声も。
• 興行成績的には厳しい見方も。高予算ゆえに回収プレッシャーが強いという分析も出ている。
• 「現代性」「分極化」「過激主義」「革命の理想と現実のギャップ」といったテーマを、風刺と寓話的要素を交えて扱おうとしているという声が多い。
以下、印象に残ったシーンをChatGPTと振り返った。
時間は存在しない
印象に残ったのは、あの“パスワード”の場面。
何度も「今何時?」と問われ続け、ディカプリオ演じるボブは、何度もブチ切れているのだが、最終的に出てくる答えが
“Time doesn’t exist, yet it controls us anyway.”
(時間は存在しない。けれど、私たちはその支配下にある。)
このセリフを聞いた瞬間、思わず笑ってしまった。笑いながら、ゾッともした。それはこの映画そのもののテーマだと感じたから。それに、ここに宇宙の真理を投入するあたりもSF好きに刺さる。
アンダーソンが描いているのは、「時間を失ったアメリカ」だ。戦いは終わらない。理想も正義も、どこかで壊れ、また始まる。
過去と現在が混ざり合うそのループの中で、私たちは“今”を生きているつもりで、実は何度も同じ問いを繰り返しているのかもしれない。
床下の逃亡と、狂気のダンス
ベニチオ・デル・トロ演じる空手の先生のシーンは最高だった。ちなみに劇中では、まわりに「せんせい」と呼ばれていて、そこだけ日本語なのにも笑えた。(笑)
逃げ場を失った彼が床の隠し扉を開けて潜り、扉を閉めるとマットが「シュルルル…」と元に戻って、まるで隠し扉の存在を完璧にカモフラージュする。
あの瞬間、劇場がざわっと笑った。暴力と死の匂いの中に、人間のずる賢さと滑稽さが見えたからだ。
そして、ハイウェイでの取り調べ中に突然踊り出すあの奇妙なダンス。理屈ではなく、身体が語る自由。俺はもうこの現実のルールでは動かない」そう言わんばかりの、静かで奇妙な解放のダンス。
戦いの外へ逃げたようで、彼もまた「One battle after another」を生きている。笑えるのに、なぜか深く刺さる。
屋根の上の影――戦う人間の滑稽さ
ビジュアル的に印象に残ったのは、ディカプリオが若者たちと屋根の上を逃げるシーン。若者たちは軽やかにジャンプしていくのに、彼だけがもたつき、結局、落ちてしまう。
しかし下には木があり、枝を伝って“シュルルル…”と降りて助かる。背景には炎、彼は影絵のようなフォルム。アーティスティックだ。
アンダーソンはここで暴力のリアリズムをあえて外し、「戦う人間の滑稽さ」を浮かび上がらせている。
ディカプリオの身体が不器用に動くその姿が、戦士というより「ただ生き延びようとする人間」に見えて、痛ましくもどこか優しい。
ハイウェイの起伏と、アメリカという心拍
もうひとつ忘れがたいのが、車のチェイスシーン。あれはハイウェイなのか、ただの田舎道なのか分からないけれど、とにかくアップダウンが激しい。 車が跳ねるたびに、画面の地平線が揺れて、まるでアメリカの鼓動を見ているようだった。実際にカリフォルニア州のセントラル・ヴァレーから内陸部で撮影されたと言われている。
アンダーソンは、風景をただの背景として撮らない。あの上下に波打つ道路そのものが、アメリカという国の感情曲線を描いているように見えた。
自由を求めて走るほど、地形は不安定になり、スピードを上げるほど、道の“重力”に引き戻される。その繰り返し――まさに「One battle after another」だ。
ディカプリオという存在の意味
ディカプリオがこの作品に出演したことにも、強い意図を感じる。彼はこの数年、環境問題や社会の分断といった現代的テーマを積極的に語ってきた。
ChatGPT曰く、『ドント・ルック・アップ』でもそうだったように、彼は“世界の愚かさを映す鏡”としてスクリーンに立つ。そして今回、アンダーソンと初めての正式タッグ。若い頃『ブギーナイツ』を断念して以来の“宿命の再会”でもあった。
彼が演じるのは、かつて革命を夢見た男。理想が壊れ、時間を失い、それでも戦い続ける男。もう勝ち負けではなく、「戦いそのものが生きる証」になっている。この役はまさに、ディカプリオ自身の人生のメタファーのようでもあった。
結末にあるもの――語られない真実のその先へ
物語の終盤、あの“真実”が明らかになる。それは長い戦いの果てに差し込む、わずかな光のようでもあり、同時に、誰かにとっては見てはいけない光でもあった。そして、静かに、何かが終わる。
ただひとつ確かなのは、そこに「愛」があったこと。それが真実であれ虚構であれ、誰かを想う力だけは、消されなかった。
そして、すべての戦いのあとに
気づけば、三時間があっという間に過ぎていた。これほどジャンルが入り乱れているのに――アクション、サスペンス、風刺、ドラマ、寓話、そしてラブストーリー――まるで“オール・アット・ワンス(Everything All at Once)”のような混沌を、観客は自然に楽しんでしまう。
社会への鋭いメッセージを内包しながら、それでも最後に見つかるのは「愛」という名の小さな灯り。暴力も真実も、すべてが飲み込まれたあとで、そこに残るのは、人を想うというただ一つの衝動。3時間で何本もの映画を見たような余韻である。
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