クリムトアライブで見つけた“人生のコラージュ”

 グスタフ・クリムト(1862–1918)は、世紀末ウィーンを象徴する画家。分離派を率い、《接吻》や《ユディト》など金箔に彩られた官能的な女性像で知られる一方、風景画や素描には驚くほどの繊細さが潜んでいる。彼の作品は、華やかさと緻密さ、その両極を抱え込んでいる。

 ウィーンを訪れたとき、まず足を運んだのは美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)。古代からルネサンスの名品が収められたその空間は、建物自体がひとつの芸術品だ。吹き抜けの大階段を囲む内装には、グスタフ・クリムトと弟エルンスト、友人フランツ・マッチュによって描かれた寓意的な壁画が施されている。金箔の装飾に包まれた天井や柱とともに、クリムトの筆跡は建築と調和しながらも確かな存在感を放っていた。

 その後ベルヴェデーレ宮殿(Österreichische Galerie Belvedere)で《接吻》を見上げ、圧倒的な黄金の輝きと静謐な愛の世界を心に刻んだ。そして、そこで手に入れた《ひまわり》のTシャツを着て、今回の「クリムトアライブ」へ足を運んだ。

 プロジェクションマッピングで拡大された作品の細部を目にした瞬間、それまで抱いていた「ゴールド=派手すぎる」という印象が覆された。煌びやかな装飾の裏に、緻密な線や繊細な色の重なりが呼吸していた。クリムトはただ華美な装飾家ではなく、観察と構築の達人でもあった。

 上映空間に流れていたのはモーツァルトの音楽だった。クリムトと同じくウィーンを象徴する存在。金色の絵画に、音楽の調べが重なると、まるで街そのものが一つの芸術を奏でているように感じられた。

 そして、壁に映し出される彼自身の言葉にも胸を打たれた。

“True relaxation, which would do me the world of good, does not exist for me.”
「真の安らぎがあればどれほどよかろうと思うのだが、そんなものは私には存在しない。」
“After tea it’s back to painting – a large poplar at dusk with a gathering storm.”
「お茶が済んだら絵に戻ろう──嵐が迫る夕暮れ時の大きなポプラの木の絵だ。」
“What matters to me is not how many people it pleases, but whom it pleases.”
「私にとって大切なのは、何人がそれを気に入るかではなく、誰がそれを気に入るかだ。」

 華やかでありながら、どこか安らぎを欠いた生の実感。日常と制作が地続きであることを示すさりげない一文。そして、数ではなく“誰に届くか”を重んじる芸術観。これらの言葉は、作品の背後にある人間クリムトをぐっと近くに感じさせた。 

 映像を三度繰り返し見終えたあと、ミュージアムショップに立ち寄った。そこで出会ったのが、複数の作品をコラージュしたクリムトのトートバッグだった。単体の絵画では“圧”が強すぎると感じていた私にとって、複数が重なり合い、色彩が調和する姿は新鮮だった。

 そう、私はART-Teeをデザインしているが、クリムトの作品はいつもデザインしようとしても失敗していた。そうか、コラージュにすればいいのか!と発見した瞬間でもあった。

 55年という短い生涯をかけて描かれた断片が、一枚のコラージュの中でひとつに溶け合っていた。その姿は、まるでクリムトという人間そのものを見せてくれるかのようだった。

 そして、カフェでこんなデザインを作ってみた。

 作品を細部まで分解して眺めれば、その緻密さに圧倒され、重ね合わせて見ると人生の厚みが浮かび上がる。クリムト展は、豪奢な黄金像から彼を解き放ち、繊細さと多面性をまとった“生涯のコラージュ”として受け取らせてくれる体験だった。

 どの作品を並べても調和してしまうのは、彼の本質がぶれることなく生涯を貫いていたからだろう。55年という短い時間の中で、変わらぬ眼差しで描き続けたからこそ、すべてが響き合う。改めて、クリムトという存在の大きさに心を打たれた。