プロコフィエフと辻井伸行の夜@オペラシティ

 オペラシティには少し早めに到着。入口で受け取ったプログラムを写メして、そのままChatGPTに送信。作曲家の背景や曲の見どころを予習し、聴く準備は万端だった。

 「毒と美」。私のGPTはそうまとめた。どうやら今夜のショーは荒れ狂う気配がした。

 いざ座席へ向かうと、なぜか私の席にすでに人が。何度もチケットを確認したが、間違っていたのは私ではなく、そこに座っていたマダムの方だった。

静寂を破った“ストン”──開演前の小さな事件

 クラシックのコンサートは、開演前の沈黙から始まるもの。

 東京オペラシティ、プロコフィエフ・スペシャルの夜。観客は息をひそめ、指揮者の登場を待っていた。

──その瞬間、事件は起きた。

 舞台奥でシンバルが台から「ストン」と落ちたのだ。

「ガシャーン!」と派手に響いたわけではない。だから客席はざわめかない。誰も声を上げず、舞台を凝視したまま。

 しかし私は見ていた。慌てる奏者、そして冷静に太鼓の女性奏者の手は、シンバルへ伸びていた。何事もなかったように音楽をスタートさせた。

 会場は凛としたまま。だが私の心の中では笑いが止まらない。

 「シンバルが冒頭を飾る曲が始まるのに落ちるなんて、まるでプロコフィエフが仕掛けたブラックジョークだ」


プロコフィエフという“毒と美”の作曲家

 セルゲイ・プロコフィエフ(1891–1953)。20世紀ロシアを代表する作曲家で、若くして天才的なピアニスト・作曲家として頭角を現した。革命と戦争の時代を生きた彼の音楽は、5つの顔を持つといわれる。

古典的(端正な構成美)、モダン(斬新な響き)、トッカータ的(機械的な推進力)、リリカル(叙情的な美しさ)、そしてユーモラス(皮肉と風刺)。

この夜演奏された作品は、まさにこれらすべてが複雑に絡み合っていた。


第1幕:《3つのオレンジへの恋》──アニメ音楽の原点

 1919年、アメリカ滞在中に書かれた喜劇オペラからの抜粋。物語は奇妙な魔法と風刺に満ちたファンタジーで、特に「行進曲」はアニメや映画でおなじみの楽曲だ。

 しかしその背後には皮肉っぽい笑いが潜んでいる。演奏は、金管と打楽器が大暴れし、最後はまるで怪獣映画のような迫力に発展した。

「クラシック=癒し」という固定観念を粉砕する、スリル満点の幕開けとなった。


辻井伸行という奇跡──ピアノ協奏曲第2番

 プロコフィエフが20代前半で作曲し、のちに改訂した難曲中の難曲。初演当時から“超絶技巧”として知られ、ピアニスト泣かせの大作だ。

 辻井伸行さんは、笑顔で現れた。そして、盲目でありながらオーケストラと完全に呼吸を合わせて弾き始めた。第1楽章のカデンツァは孤独な闘い、第4楽章は嵐のように駆け抜ける激流。

 頭を振り、体全体を使って弾く姿はクラシックというよりロック。それでも一音一音は透明で美しい。「毒」と「美」が同時に存在する瞬間に、観客は完全に圧倒された。

 最後は割れんばかりの拍手、ブラボー、ヒューの声が炸裂。辻井さんは拍手を嬉しそうに全身で浴びていた。


アンコール:戦争ソナタという衝撃

 アンコールに選ばれたのは、第二次世界大戦中に書かれた《ピアノソナタ第7番》の終楽章。通称「戦争ソナタ」。激しいリズムと轟音の嵐のような楽曲だ。

 あれだけの超絶技巧を終わらせたばかりなのに、またロックだった。辻井さんの演奏は光速なのだ。戦車の突進のような迫力の中に、辻井さんは人間的な光を宿らせる。通常なら暴力的に聴こえるはずの曲が、なぜか涙を誘う音楽に変わった。同じ人間とは思えない。鳥肌。そして超人的な努力を思うと泣けてきた。


休憩時間の興奮──ChatGPTへのメモ

 感想を忘れないうちに、スマホでChatGPTに打ち込む。興奮が収まらない。休憩時間は終わったが、プロコフィエフはまだ終わらせてくれない。


第2幕:《ロメオとジュリエット》──愛と死の物語

 1935年に作曲されたバレエ音楽からの抜粋。「騎士たちの踊り」の重厚なリズム、「少女ジュリエット」の可憐な旋律、「ティボルトの死」での激しい衝突と悲劇。

 やがて聞き覚えのある美しい旋律が現れ、「やはり偉大な作曲家だ」と胸に刻まれる。


オーケストラという小宇宙

 ライブだからこそ気づける音がある。トライアングルの一打、小太鼓との掛け持ち演奏、マリンバの多彩なバチさばき。ほとんど聴こえなくても存在感を放つオルガンやハープシコード。

 センターに座っていた外国人クラリネット奏者のノリノリな演奏に、こちらまで楽しくなる。奏者ひとりひとりが小宇宙のように輝き、全体でひとつの波動となる。

 かつて「オーケストラをどう味わえばいいのか?」と困っていた私が、今は一打、一息まで楽しめるようになっている。


結界の余韻──最後の静寂

 どの楽章の終わりも余韻が素晴らしかった。特に最後の音が消えた瞬間、ホールは完全な静寂に包まれた。

 「あれ、最終楽章だよね…」と思ったが、誰も拍手できない。指揮者が張った見えない結界に全員が囚われていた。

 やがてその沈黙が解かれ、一斉に拍手とブラボーが炸裂する。90分以上の激闘を振り切った指揮者とオーケストラに、鳴りやまない拍手。プロコフィエフという作曲家の多面性と、辻井伸行さんの圧倒的な表現力。そして生演奏だからこそ味わえる偶然と必然が交錯した。

 

 こうして記事を書きながら、プログラムを改めて眺めてみた。

 黒と赤の強烈なコントラスト、十字架を思わせる赤、冷たく光る水色の文字。そして、直線的で角ばったフォントが放つ無骨な力強さ。思えば、このデザインはすでに囁いていたのだ。

 正直、プロコフィエフはよく知らない作曲家だった。でも、一夜を通して笑い、涙し、圧倒されてしまう迫力。辻井さん×東京フィルハーモニーの渾身のシンフォニーだからこそだったのかもしれない。圧倒的なものは、伝わるのだ。