絵画鑑賞後、感想でなく、問いをシェアしあう。

 ALL EARSコミュニティー「対話編」のレッスンは、2カ月に1度のペースで開催しています。今夜はその第5回目。

 昨年は、ChatGPTと共著した『ChatGPT:一問一答で広がる人間の可能性』をテキストにしていたので、準備は執筆段階でほぼ終わっていました。

 でも今回は、毎回ゼロから手作り。まるで学校の先生のように、レッスン内容を組み立てています。

 ただ、この即興性こそが、参加者の声や反応に寄り添える鍵。前回の流れを受けて、「次は何をテーマにすべきか?」を毎回自然に導き出せるのです。


 これまでの対話から見えてきたのは──

 日常で「問い」とどう関わっているか?という、参加者それぞれの“問いとの距離感”。

そして私が驚いたのは、ほとんどの人が「問い」を“無意識のまま”生きているということ。

たとえば、「なぜそうなったのか?」「なぜそうなんだろう?」といった原因追及型の問いは出てくるけれど、それって私にとっては、もはや“問い”とは呼べないんです。

 私はよく、「もし◯◯だったら?」という仮定の問いを使います。理由を探るときでさえ、「もしこういう背景があったとしたら?」という風に、想像力を刺激する方向に問いを立てているのです。

 さて、今回のレッスンでは、「絵画を見るとき、どんな問いが浮かぶ?」をテーマに、まずは皆さんから“問いの感覚”を引き出してみました。


 ところで──あなたは、ゴッホの『星月夜』を見て、どんな問いが心に浮かびますか?

 皆さんの「問い」をシェアしていただきましたところ、「鑑賞している自分が『なぜ?』と思うこと」が質問に上がってきました。いつかいたのか? 孤独を感じるのは何か? なぜ、真ん中の白い建物が目立つのか? なぜ、木がやたら茶色いのか? どんな気持ちで描いたのか?  など。

 この絵を多少知っている私は、「黒い縁取りにしたのはなぜか?」「糸杉だから、サンレミの病院で描いたのかな?」「葛飾北斎の波を再現してみたかったのかな?」などの問いが浮かびます。


 問いをシェアし終わると、「いつも同じ問いしかしていなかった」「自分がしりたいことだけが問いになっていた」ことにまた気づきました。

 この後、私が考えた「問いを作るための方程式」を皆さんにシェアすると、少し質問の幅が広がっていきました。そして、ChatGPTが作成した問いもシェアしたのです。


🔭【観察から問いへ】《星月夜》を見ながら立ち上がる問いの例

🌀 感情の揺らぎから

  • なぜこの夜空は、こんなにも渦を巻いているのだろう?
  • この絵を見たとき、なぜ私は「不安」や「静けさ」を同時に感じるのだろう?
  • もしこの夜空に、音があるとしたら、どんな音が聴こえる?


🕰 時間のベクトルから

  • この景色は「過去の記憶」なのか、それとも「未来の予感」なのか?
  • 星たちは、いまも同じ場所にあるのだろうか?
  • 100年後の誰かは、この絵を見て何を思うのだろう?

🧍 関係性のレンズから

  • この絵を描いた“ゴッホ自身”は、夜に何を見ていたのだろう?
  • 私がこの風景の中にいたら、どこに立っているだろう?
  • この絵を、誰かに見せるとしたら、どんな問いを渡すだろう?


🚪 行動の引力から

  • この夜空を見て、何かを始めたくなったとしたら、それはなぜ?
  • この風景のなかを歩いてみるとしたら、どこへ向かう?
  • 絵の中に「描かれていないもの」は何だろう?なぜそれを想像したのか?

 問いで、絵画鑑賞は深くなるのです。感想をシェアしあうよりも、問いをシェアしあうほうが、人の問いから、もっと深く鑑賞できる。これからの「鑑賞系」は、問いのシェアが高尚な趣味となりそうですね。