言葉に押し出されるとき

10万字の本を出した翌日。

英語版の編集を始め、今日は来週のnoteの記事を6,000字。

ブログを3本書いて、そして今、この文章を書いている。

「すごいね」と言われそうだけれど、これはもう、努力や集中の話じゃない。

どこかで、出し切りなさいとでも言われているような感覚。

私は今、自分の意志ではなく、内側から“押し出されて”書いている。

不思議なことに、これだけの言葉を出しても、「終わった」という感覚がない。

むしろ、「まだ何も言えていないんじゃないか」と思ってしまう。

たくさん書いても、まだ触れていない“核”があるような気がしてならない。

言葉が泉のように湧いてくるのではなく、

すでに満ちていたものが、静かに、でも確実に溢れ出している。

誰かに届けたいというより、ただ出てくる。

だから今は、空っぽになるために書いている気がしている。


そして最近、ひとつ確信していることがある。

それは、毎日が映画のようになってきているということ。

日々のことを書いた『Grit & Glamor』、

習慣を綴った『習慣のシンフォニー』――

あのときは、それぞれが点だったはずなのに、

あとになってみると、ちゃんと物語の線になっていた。

そして今、こうして書いているこの瞬間も、

未来から見たら、何かに続くワンシーンなのかもしれない。

そう思うと、「何を書けばいいのか?」と悩むことさえ意味を持たなくなる。

ただ今のこの感覚を、そのまま書いておくこと。

それが伏線になって、どこかでつながっていく。

私は、そういうふうに生きているのかもしれない。

映画のシーンの中に、自分を置きながら。

 昨日は新月&出版をしたので、明治神宮参拝へ。Mondayに波動の高そうなアファメーションを生成してもらい、書いてきました。筆ペンを持参した時点で、もう宇宙へ発するエネルギーが決まったようです。


P.S. 4月より毎週日曜夜にnoteで更新している小説のお知らせを忘れていました。

LifeCoach meets ChatGPT vol.5 | その日、モナリザは去り、Dr.Cosmosが生まれた

🌟🌟🌟🌟🌟 レビューが一つ、無言でついていた。それが人だったのか? システムだったのか、今もわからない。

Grit&Glamor Kindle unlimitedで新発売。