辻井伸行さん「プレミアムリサイタル」感想【後編】アンコール!!!

【前編】続き…

 辻井さんが再びステージに戻り、先ほど中断した「第二楽章」から演奏が再開されました。

 第1楽章の「Allegro inquieto(不安なアレグロ)」で響いた不協和音から一転、第二楽章では、戦時下の儚い平穏を描く静かなメロディーが続きます。そして、第3楽章に入ると、戦争の混沌をまさに体現する激しいリズムが展開されました。この楽章の激しさたるや、もし第1楽章で弦をしっかり直していなければ、また弦が切れてしまいそうなほどです。エネルギーの大爆発が至るところで起こり、まるで子供が思いのままにピアノをガチャガチャと弾いているかのような、奔放で圧倒的な激しさに満ちていました。それでも、それが「正しさ」として成立しているのが辻井さんの凄み。まさにハチャメチャでありながら、完全にコントロールされた表現力に脱帽です。

 そして最後、「チャチャチャン!」という音で締めくくられると、辻井さんの満面の笑みがこぼれ、ホール全体が温かな拍手に包まれました。これは間違いなく大成功! 弦が切れるハプニングを乗り越えたからこそ、演奏者と観客の間に生まれた一体感が一層際立ち、誰もがブラボー!と声を上げたくなる瞬間でした。

「いや、素晴らしかったですね!」自然と隣のマダムと会話がはずみます。そして、ミントの飴をいただきました。(笑)


 調律で時間が押していたかもしれませんが、予定通りの休憩を挟み、後半の『 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア』へ。

「ハンマークラヴィーア」はベートーヴェンが晩年に書いた作品で、彼のピアノソナタの中でも最高峰に位置付けられる傑作です。技術的にも音楽的にも極めて難しく、まさに「ピアノの交響曲」と呼ばれるほど壮大な作品です。全4楽章からなります。GPTによると、「壮大なスケールの中で精神性と技術の極みを味わう」ことが、聴きどころのようです。ドビュッシーとは違い、スピリッツに重きを置くベートヴェンなんですね。ベートヴェンの至った境地とは何か? そんな意図で聴き始めました。

 ファンファーレのように明るく華やかなオープニングが奏でられ、これから始まる音楽への期待感を一気に高めます。第二楽章でもその明るい雰囲気は引き継がれ、軽やかな旋律が心地よく響き渡ります。しかし、第三楽章に入ると、雰囲気は一変。瞑想的で静謐な音の世界が広がり、15分ほどの間、会場全体が息を呑むような静寂の時間を共有しました。この静けさがかえって聴衆の心を深く揺さぶり、時間が止まったかのような感覚を味わうひとときとなりました。

 そして迎えた第四楽章。壮大なフーガで構成されるフィナーレは、一気にスケールが広がり、まさに楽曲のクライマックスへ向かう高揚感に満ちています。事前に「音楽による『究極の答え』を表現する」とChatGPTから聞いていただけに、そのラストへの期待はいやが上にも高まりました。しかし、「究極の答え」ははっきりとした形では示されず、むしろ右手と左手が奏でる不協和音の中に独特のハーモニーを見出すような構成に。そして最後は、見事に美しく調和の取れた音で締めくくられ、全曲が終わった瞬間に会場には深い余韻が残りました。

 辻井さん、またしても満面の笑み!私たち観客も大きな拍手を送り、いよいよお楽しみのアンコールの時間です。辻井さんのアンコールといえば、いつも驚かされるほどのサービス精神で、3曲、4曲が当たり前。さて、今回はどんな選曲でしょうか?

 まず1曲目は、先ほどの激しいプログラムの余韻を静かに沈めるかのように、ベートーヴェンの《悲愴》。辻井さんは最後の一音に至るまで、まさに魂を込めるように丁寧に演奏されました。彼のピアノからは、小さな音も大きな音も、それぞれが完璧に美しく響き、音楽がまるで生きているかのようでした。この《悲愴》は、まさに心に染み入る一曲で、会場全体がその深い感動に包まれていました。

 再び大拍手が湧き上がり、辻井さんがアンコール2曲目の準備に入ることを示すように、左手をピアノの縁にかけました。なんと、ここで辻井さんがMCまで披露!(笑)

「皆様にとっては、重いプログラムだったのではないでしょうか?(笑) お腹いっぱいではないでしょうか。いかがでしたか?」

 私たちは大拍手で応えました。また辻井さんは、「ライブならではのハプニングを皆さんと体験できてよかったです」と、満面の笑顔で語られました。その言葉には、音楽を通じて聴衆と「瞬間を共有する」という辻井さんの思いが溢れていて、会場全体がさらに温かな空気に包まれました。

 確かに今回のプログラムは、ベートーヴェンやプロコフィエフといった技術的にも精神的にも重厚な楽曲が中心で、聴く側にも深い感動と緊張感をもたらしました。しかし、辻井さんの演奏には、「圧倒的な集中力」と「自然体」の両方が見事に備わっていて、まるで難解さを感じさせない。それが、聴き手にとって最後まで音楽を味わい尽くす体験を与えてくれるのです。


 そして、アンコール2曲目に選ばれたのは…辻井さんはこう告げました。「クリスマスも近いので、坂本龍一さんの『戦場のメリークリスマス』を演奏します」。その一言で客席は静まり返り、全員が期待に胸を膨らませました。

 演奏が始まると、心の琴線に触れるような音色が会場全体を包み込みます。辻井さんの奏でるメロディーは、ただ美しいだけでなく、一音一音が深い感情を伴い、涙が流れてきます。まさに圧倒的な感動の時間。この贅沢な瞬間に立ち会えたことに、心から感謝です。

 そしてまた、辻井さんは舞台袖に戻り、再び登場!そのたびに観客の期待感が高まり、ついに辻井さんの左手がピアノに掛けられました。「わっ、三曲目!!!」と心の中で歓喜の声を上げました。すると、弾き始めてすぐにわかるあの旋律――ベートーヴェン《月光》第三楽章です!

 この楽章は、YouTubeにも数多くの演奏動画がアップされています。そのおかげで、この曲を知っているからこそわかる違いが浮き彫りになります。辻井さんの《月光》第三楽章は、驚くべき速さで繰り広げられる音の嵐の中でも、すべての音が一音ずつしっかりと際立ち、明瞭に聞こえます。そしてその背後には、絶妙なペダルさばきが息づいていて、その繊細さと大胆さの絶妙なバランスに心を打たれました。

 辻井さんの演奏は、ただ速さや技術を見せつけるものではなく、一音一音に込められた情熱や感情が、エネルギーとして胸に迫ってきます。その瞬間、私はこう思いました。「なんて私は幸せなんだろう」と。このように心の底から感動し、幸せだと感じさせてくれる音楽を届けてくれる辻井さんの演奏は、まさに「神」のような体験です。

 『月光』第三楽章の怒涛のフィナーレが終わり、会場にはしばし感動の余韻が漂いました。帰宅しながら、改めて辻井さんの『月光』第三楽章を何度もリピートしてみましたが、聴けば聞くほど素晴らしさに気づきます。音楽の力、そして辻井さんの演奏の素晴らしさを存分に堪能できる、特別で心震えるアンコールでした。

 そして、翌日も何度も《月光》を聴き返しました。そのたびに、一瞬にして波動が高まるような感覚に包まれます。もはや、モーニングルーティンにしたいほど! ベートーヴェンが音楽を通して精神性を表現した理由が、少しだけ理解できる気がします。この曲を聴いていると、まるで脳がリワイヤーされていくような、内側から波動が整っていく不思議な感覚を覚えるのです。そして何より、辻井さんの演奏はやはり格別でした。

 何の違いもわからないところから、ピアニストのクライアントさんがきっかけとなり、10年前からピアノリサイタルに通い始め、少しずつその魅力に触れ続けてきました。昨年の「ゴッホ」のプロジェクションマッピングを鑑賞したとき、美術鑑賞の積み重ねがようやく形になったと実感したように、ピアノ鑑賞も同じです。ようやく「どこを意識すればいいのか」がわかってきた気がします。わからないながらも、毎回感想を書き続ける修行でした。それを信じて続けてきたことが、ここにきて実を結び始めたのです。

 新しいことを始めるのも素晴らしいですが、こうしてひとつの道を継続することで得られる感動は、何倍にも深いものになると私は思います。たとえその道が修行のように思えても、続けることが力になる。続けるからこそ、サンプルが増えてだんだんと分かるようになる。

 これが2024年最後のピアノリサイタル鑑賞となりましたが、ようやく「もっと面白くなる」予感に満ちています。この先、さらに深まる音楽の世界が楽しみでなりません。辻井さんのひたむきさと情熱が、演奏を通して確実に誰かの心を動かし、感動を届けている姿を目の当たりにすると、自分も何かを追い求めたいという気持ちが湧いてきます。この一年の締めくくりに、辻井さんの演奏とその姿勢に触れられたことに心から感謝です。来年は、どんな感動を味わえるのでしょうか!