「印象派」モネからアメリカへ:知の共有が世界を動かす。

 印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響をたどる。アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館の印象派コレクション初来日の美術展へ。4/7までのため、夜の千鳥ヶ淵花見を踏まえ、16時すぎに当日券でぎりぎり入館。17:30までにもかかわらず、昨日のマティス展にくらべると4.5倍くらいの人で大盛況でした。

 まず、印象派に関してChatGPTの知識をシェア致します。とくに、本展のテーマとして、印象派がアメリカ他、世界に影響を与えたことについてなので、そのあたりGPTに答えてもらいました。


 印象派は19世紀後半にフランスで生まれた美術運動で、伝統的な美術の概念に挑戦し、新しい表現方法と視覚的な感受性を模索しました。この運動は、光の効果、色彩、そして日常生活の瞬間を捉えることに重点を置きました。印象派の画家たちは、細かいディテールを描写するよりも、一瞬の印象を表現することに焦点を当てました。


◼︎印象派の誕生

 印象派の始まりは、1860年代後半にさかのぼります。クロード・モネ、エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロなど、いくつかの革新的な芸術家が集まり、アトリエを共有し、自然光の下で屋外(プレナール)で絵を描くことにより、瞬間を捉える新しい方法を模索しました。1874年、これらの芸術家たちは、公式の美術展覧会(サロン)に拒否された作品を展示するため、自分たちの展覧会を開催しました。この展覧会でクロード・モネの「印象、日の出」が展示され、この作品が「印象派」という名前の由来となりました。

◼︎全世界への広がり

 初めは批評家からの強い反発に直面したものの、印象派はやがてフランス国内外で受け入れられるようになりました。1880年代には、この運動はフランス国外にも広がり始め、ヨーロッパ各地やアメリカ合衆国の芸術家たちにも影響を与えました。

 印象派は、美術史において重要な転換点となり、美術の概念を広げ、芸術家が世界をどのように観察し、表現するかに革命をもたらしました。現代においても、印象派の作品は世界中の美術館で高く評価され、愛され続けています。

 アメリカでは、メアリー・カサットやジョン・シンガー・サージェントのような画家が印象派の技法を取り入れ、アメリカの風景や日常生活を独自の視点で捉えました。一方、イギリスでは、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーが印象派の影響を受けた作品を制作しました。

 20世紀に入ると、印象派はポスト印象派、キュビズム、フォーヴィズムなどの新たな美術運動へと進化しましたが、その表現の自由さと色彩の革新性は後世の芸術家たちに大きな影響を与え続けました。


◼︎絵の具のチューブの発明

 19世紀半ばに絵の具のチューブが発明されたことは、印象派の発展にとって画期的な出来事でした。それ以前は、画家たちは自分で顔料を研ぎ潰し、使用する直前に油などの媒体と混ぜ合わせて絵の具を作る必要がありました。このプロセスは手間がかかり、屋外での絵画制作には不向きでした。

 絵の具のチューブが発明されたことで、画家たちはすぐに使用できる絵の具を携帯できるようになり、屋外で自然光の下で絵を描くことがずっと容易になりました。この技術革新は、印象派の画家たちがプレナール(屋外での絵画制作)を実践し、自然の光と色を捉えるための重要な手段となりました。


 印象派が広がった主な理由は、その革新的で衝撃的な特徴に加えて、仲間同士が団結し、自らの美術運動を支援し合い、広めようとしたことにあります。この芸術運動の展開において、印象派の画家たちが取ったいくつかの重要な戦略を考えると、以下の点が挙げられます。


■社会的・文化的背景

 19世紀後半のフランスは、産業革命の影響で大きな社会的・文化的変化を経験しており、これが印象派の受容にも影響を与えました。新しい都市計画、鉄道の発展、中産階級の台頭などが、日常生活の風景や新しい視点を求める画家たちにとっての題材となりました。印象派の画家たちが捉えた、変化する社会の風景や光の瞬間は、多くの人々に新鮮で魅力的に映り、広く受け入れられるようになりました。

■仲間内での連携

 印象派の画家たちは個々に活動しながらも、互いに深いつながりを持ち、影響を与え合いました。彼らは技術や理念を共有し、批評家やギャラリスト、コレクターとの関係を築くなど、お互いのキャリアを支援し合いました。このような仲間内での連携が、印象派運動を持続させ、広める上で重要な役割を果たしました。


■ここから感想

 これまでの印象派展は、モネ、ルノワールなど、個人的な画家に焦点を当てたものが多かったですが、今回は、アメリカボストンのウスター美術館が、初めてモネの絵画を購入したということから、アメリカにも印象派の衝撃が広がっていった様子を知りました。

 日本も遅ればせながら印象派の影響を受けて、パリに留学した画家もいました。遅かったので、そのあとのポスト印象派や、野獣派、キュビスムのムーブメントも次々とやってきたそうです。

 それ以前の絵画と言えば、宗教画(キリスト誕生の物語を知らせる手段でもある)だったり、偉人たちの肖像画だったりのイメージでしたが、19世紀初頭の絵具の発明によって、外で絵が描けるようになり、自然がモチーフになったり、写実的というよりも、印象的な伝わり方をする絵になったことは、当時は革新的なことのようでした。そして、印象派展を開催することで、ますます広がっていき、画家同士が、お互いにインスパイアして、印象派からまた派生していくような、そういうプロセスが面白いなと思いました。

 私も研究を深める仲間が欲しいなと思いましたし、印象派展のような、・・・展みたいのを開催しちゃってもいいのかもと、(笑)印象派展から学べるものがいっぱいありました。そうやって、知の共有をしていくことが、大きなムーブメントとなるはずですから。

 今やっている、コミュニティなども、画家の集うサロンのように、研究会的にしてもいいのかもしれません。というか、そういうことをやってみたいと思わされました。仲間を集わないと。(笑)昨日のマティスに続き、これからの成長のためのインスピレーションとなりました。