華道はダンスのようだ。

 8月は、お稽古日1回なので本日のお稽古3時間でした。師匠が講義を1時間をしてくださるということで、3人の初心者がいるから、やったほうがいいなと思って開いてくださいました。私は、試行錯誤にもならないまま5か月が過ぎてきたところだったので、いいタイミングでした。

 師匠の話もそうですが、女優さんのノートの取り方に驚きました! 「書かないと覚えられない!」とおっしゃっていました。優位感覚は触覚タイプなのでしょう。講義中、1度も顔をあげることなく、ノートをお書きになっていました! 30年以上も芸能界にいらっしゃる方は、そういう姿勢なんだと感心しましたし、私もそうであるべきとはっとさせられました。そして、次の講義も懇願していらっしゃいました。いい空気に私も乗らせてもらおうと思います。

 残りの2時間はいけばなです。そして、今回から師匠も手直しを多くするということで、いろいろと直接指導を受けることになりました。これまではどうも様子見をしていたようで、意図的にあまり教えないようにしていたそうです。これも修行なんでしょう。でも教えてもらえることになったということは、月日が経ったことや、少しは血肉になったということだと思うので、前進したと捉えることにしたいと思います。本当に師匠と弟子たちという感じですね~。そういうの苦手ですが、苦手だからこそ、ここにいるのでしょう。

 そして今回、私は教科書をすごい誤解をしていることに気づかされました。最初の1本目「真」の15度の角度の捉え方が、どうも平面的にしか私は捉えていなかったようです。3Dで見ての15度だったのです。あり得ないミスが、5か月の間ずっとそのまま訂正されず、私の思い込みとなっていました。初歩段階ですし、思い込みたくないのに思い込みになっていたのです。

 なぜ、そういうミスをしたのか? と言うこともわかりました。私はダンスの授業とか、どちらかというとやりたくないタイプでした。動きをまねすることが苦手なのです。そのことに、枝をしならせるのを教えてもらうときに、発覚したのです。

 曲げる右手だけ見て、添える左手が全く視界に入っていなかったのです?! 見えてないのです。もはや、華道をすることは、脳のリハビリのよう。興味のないところに入るだけでも修行ですが、さらなる修行の道にどうやらはいってしまったと、後悔よりも、私はどこを目指しているんだろう?と考えることにしました。そういう立体的な動きを記憶できるようになれば、語学の勉強もそうですし、自分自身の動きにもいい変化がいつか訪れるということです。いつまで続けるかわかりませんが、今は修行の道に入っていることだけは、間違えないと思いました。そして、きっとこれでいいんだと、脳に思い込ませたいと思います。

 きっと何かの未来があって、必要な修行なのです。