『オデュッセイア』『踊る大捜査線』『Digger』と、最近は毎週のように映画館へ足を運んでいますが、今週2本目となる『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てきました。
もともと観る予定はなかったのですが、YouTubeで岡田斗司夫先生が「絶対観たほうがいい」とおっしゃっていたのを聞き、急遽予定を変更。朝10時、TOHOシネマズ日比谷の広いシアター12へ駆け込みました。
朝一番の回ということもあり、館内はミドルエイジ以上の大人が2〜30人ほど。
観終わった感想は、噂通りの想像以上のホラーでした(笑)。
もともと『ちいかわ』については、姪が好きでグッズをよく見せられていたくらいで、私自身はほとんど何も知りません。だから鑑賞後、気になってYouTubeで何本も解説動画を観まくりました。
驚いたのは、『ちいかわ』とあまり接点のなさそうな世代の大人たちが、こぞって深く考察していることです。ギリシャ神話や日本神話の見立て、ガチファンによる考察などアプローチは様々。解説を観ることで見落としていた部分に気づけ、それぞれのキャラクターへの理解が深まり、原作者・ナガノ先生の原点にも触れることができました。
けれど、少し時間が経ってから、また別の問いがふと浮かび上がってきたのです。
(たいていこういうアイデアは、ジムのスパエリアで髪を乾かしているときに閃きます)
「『ちいかわ』は、そもそも子どもも観るアニメなんだ」ということ。
そう思い直したとき、この作品の本当のすごさが見えてきました。
物語の中には、いろいろな存在が登場します。
ある出来事に直面したとき、Aさんはこう反応する。
Bさんは、まったく違う行動をとる。
Cさんには、Cさんなりの事情がある。
自分だったら絶対にしないような選択をする人もいるけれど、その人の立場に立ってみれば、それはとても自然なことだったりする。それぞれに、それぞれの理由があるのです。
実は私自身、2010年頃から映画を「共感的理解」のトレーニングとして観るようになりました。映画を観て、その背景や解説に触れる。その積み重ねの中で、少しずつ「相手には相手の事情があるんだな」と想像できるようになり、「誰か一人を悪者にしなくてもいい」というフラットな視点が持てるようになっていきました。
人間関係や対話のご相談をお受けするときも、まったく同じです。
「ああ、この人にはこの人の見え方があり、相手には相手の事情があったのだな」と見えてくる瞬間がよくあります。誰かを理解するというのは、まず「その人には、その人から見えている世界がある」と知ることから始まるのかもしれません。
『ちいかわ』には、状況を説明するような長いセリフがほとんどありません。
だからこそ観ている側が、「今、どう思っているのかな」「本当はこうしたかったのかな」と、自分の想像力で物語の行間を埋めていく必要があります。その大きな「余白」こそが、人の想像力を育むのではないでしょうか。
自分とは違う誰かが、違う理由で、違う行動をする。
映画はずっと、その体験をさせてくれます。そう考えると、アニメーション映画というのは「自分以外の世界を想像する機会」そのものなのかもしれません。
まだ言葉で複雑な感情を理解できない子どもたちも、
誰かが泣くのを見る。
誰かが助けるのを見る。
誰かが怖がり、誰かが間違えるのを見る。
そうして「どうしてだろう?」と一生懸命に頭を巡らせる。
今回の『ちいかわ』は、観ていてたしかに怖かったけれど、そこには子ども向けだからこその残酷さや、純粋な見せ方がありました。そしてそれ以上に、「人には、その人からしか見えない世界がある」という当たり前で大切なことを伝えてくれていたように思います。
やっぱりこの映画は、ちゃんと子どもたちに向けて作られていたのだと感じます。
自分の視点だけで世界を見ないこと。
その想像力こそが、誰かへの優しさにつながっていくのだと教えてもらった気がします。
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