ロートレックの長袖Tシャツを着て、三菱一号館美術館へ向かった。
6年ほど前からArt-Tee(アートTシャツ)を着るようになり、気づけば自分でもArt-Teeのショップを始めていた。この日の一着も、そんなお気に入りのひとつ。展示室で、一緒に来た姪が「Tシャツと同じ絵があった!」と声をあげた。
本物のポスターは、思ったよりずっと大きかった
画面や画像では何度も見てきた絵。でも、展示室で向き合った本物のポスターは、想像よりずっと大きかった。「ポスターなんだから当たり前か」と思いつつ、目の前の迫力に、やっぱりすごいなと素直に感じた。
ジェール・シュレ
オーギュスト・ローデル
会場には同時代の画家たちのポスターも並んでいて、どれも可愛らしく魅力的だった。けれどその中で、ロートレックの絵だけは何かが削ぎ落とされている。なのに、やたらと強く印象に残る。今でいうグラフィックデザインやアートディレクションにも通じるような、ロートレックならではの不思議な力を、あらためて感じた。
「ロートレックって天才だね」
初めてロートレックを見た姪の反応も面白かった。
真っ先に食いついたのは、作品のタイトル。
《40で》
《ムーラン・ルージュにて。粗野な奴!まったく粗野な奴!》
「なにこれ、面白い」と笑っている。
姪はゴッホが好きで、バジールも好きらしい。バジールについては「本人のビジュアルがかっこいいから」という理由も含めて(笑)。そんな彼女のために、おばさんはブラックのエコバッグを作ってあげたことがある。しかも2つ。今ではいつも持ち歩いてくれている。
その姪が展示の途中で、ぽつりと言った。
「ロートレックって天才だね」
そういえば先月、二人で印象派のVR展を見に行ったばかりだった。会場で姪が「あ、モリゾさんだ」と言った。先月見た画家を覚えていて、別の展覧会で再会したときに自分で見つけたのだ。覚えてるんだな、つながってるんだな、と思って、なんだか嬉しかった。
モノクロ映像の中の、混沌としたパリ
会場の中ほどで流れていた、当時のパリのモノクロ映像がとても印象的だった。
映し出される人々は、とにかく混沌としている。露出度の高い衣装のお姉さんが、人が引く車のようなものに乗って移動していたりする。怪しげで、でもすごく活気があって楽しそう。ロートレックのポスターが街に貼られていた頃のパリは、こんなふうに人々が連なって賑やかに遊んでいた街だったんだと、空気がダイレクトに伝わってきた。
カフェから生まれ、街へ出ていった芸術
モンマルトル、モンパルナス。たくさんの画家たちが、同じ街の同じ空気の中で絵を描いていた。
Vincent Van Gogh
19世紀後半のパリでは、カフェやキャバレーに画家や作家が集まっていた。当時のカフェは、ただコーヒーを飲む場所ではなく、人が集まり、語り合う場所だったのだろう。1881年にモンマルトルにできた「ル・シャ・ノワール」には画家や詩人、音楽家が集い、そこからポスターや雑誌が生まれて街へ出ていったという。
ラモン・カザス
その文化はバルセロナのカフェ「クアトラ・ガッツ」にも持ち帰られ、そこには若き日のピカソがいた。展示されていたピカソの《カンカン》を見ると、スカートの広がりや人物の捉え方に、はっきりとロートレックの影響が見えて面白かった。
Picasso
さらに進むと、モディリアーニやユトリロ。6月頃にジョニー・デップ監督の映画『モディ』を観たばかりだったので、「映画に出てきたあの人たちは、本当に同じ時代のパリにいたんだな」と、スクリーンと現実がつながるような感慨があった。ユトリロの静かな街並みを見ていると、さっきまでの賑やかなカフェの背景に、この街があったのだと感じられる。
モディリアーニ
ユトリロ
色彩がパッと明るくなる瞬間
歓楽街の混沌とした展示を抜け、最後に小企画展「モネとルドン」のエリアに入ったとき、空気ががらりと変わった。
急に色彩がパッと明るくなる。その空間の切り替わりが、とてもドラマチックで印象的だった。
夕暮れの光が美しいモネの草原の絵。ルドンの《小舟》。ルドンがコローから言われたという「不確かなものの傍に、確かなものを置きたまえ」という言葉も紹介されていて、静かな余韻が残った。
〈カフェ・ゲルボワ〉でのモネの言葉
今回いちばん心に残ったのは、〈カフェ・ゲルボワ〉で過ごした時間について語ったモネの言葉だった。
〈カフェ・ゲルボワ〉での語らいほど興味深いものはありませんでした。そこでは意見が絶えずぶつかり合い、精神はつねに刺激されました。
そこで得た熱意は幾週間にもわたって私たちを支え、一つの考えが明確な形をとるまで続いたのです。
ロートレック、モネ、ルノワール、ドガ、ピカソ、モディリアーニ、ユトリロ……。
今では美術館で一人ずつ「巨匠」として出会う人たちも、当時は街へ出て、人と会い、語り合い、刺激を受けながら描いていた。
美術展というと、一人の画家に焦点を当てたものが多い。けれど今回は、同じ時代、同じ街に生き、同じカフェに集い、ときに影響し合いながら描いていた画家たちの作品を、一度に見ることができた。
ピカソ
ロートレックを見に来たはずが、ゴッホがいて、ピカソがいて、モディリアーニやユトリロがいる。当時の映像や、芸術家たちが集まったカフェの地図まで眺めているうちに、一枚ずつ作品を鑑賞しているというより、「時代」そのものの中に入り込んでいくような、不思議な感覚になった。
過去と今が、あちこちでつながっていく
映画で見た人が絵の中に現れる。
先月見た画家を、姪が見つける。
自分のロンTにプリントされたロートレックが、目の前に本物として現れる。
過去と今が、あちこちでつながっていく。
三菱一号館美術館が所蔵するロートレックやルドンをはじめ、これだけの作品を一度に味わえたのは、本当に贅沢だった。
見終わったあとの第一声は、やっぱりこれ。
「お腹いっぱい!」
ロートレックを見に行ったはずが、19世紀末のパリに迷い込み、そこに生きていた人たちの熱気まで浴びて帰ってきたような一日だった。
……と、これだけいろいろ書いておいてなんですが、この展覧会は9月23日で終了しています。(笑)
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