私もスーパーフラットだったのかもしれない

家族に呼び出されて銀座へ行きました。

昼は「はま寿司」。

銀座にはま寿司があることを最近知ったのですが、なかなか面白い。


店に入った瞬間に気づきました。

「あれ?」

尾形光琳の《燕子花図屏風》がある。

前回来た時には全く気づかなかった。でも今日はなぜか目に飛び込んできました。

たぶん最近、村上隆さんの「スーパーフラット」という言葉が気になって、日本画の文脈を調べていたからだと思います。最初は現代アートの概念くらいにしか思っていなかった。でも調べていくうちに、思っていたよりずっと面白い話だとわかってきました。


そこで知ったのが、「浮世絵は日本画ではなかった」ということでした。

え?と思いました。私の中では、浮世絵こそ日本画の代表みたいなイメージだったからです。

でも考えてみれば、浮世絵は版画です。大量に刷られ、人々の手に渡った大衆文化でした。今で言えば、雑誌やポスターに近い。

そしてさらに驚いたのは、「日本画」という言葉そのものが後から作られたものだったことです。

西洋画が入ってきた明治時代。そこで初めて、「じゃあ、それまでの日本の絵を何と呼ぶ?」という必要が生まれた。そして「日本画」というカテゴリーが作られた。

つまり、日本画というものが最初からあったわけではない。比較対象が現れたことで生まれた名前でした。


この話を聞いた時、妙に面白いなと思いました。

私たちは、昔からそういうものが存在していたように思っている。でも実際には、後から分類され、名前が付けられ、カテゴリーになっていることがたくさんある。


そして気づきました。

私は昔から、そういうカテゴリーをあまり信じていなかったのかもしれない、と。

外食産業からアパレル業界へ転職した。独立してライフコーチになった。クラシック音楽を聴いていても、人生のことを考えている。AIについて考えていても、結局は対話や人間の可能性の話になる。ブログを書いていても、ビジネスと創作と人生が混ざる。

だから、ずっとブログも2本立て。

私の中では、ずっと全部つながっていました。


昨日noteに初めて教材を置いたとき、「コーチ向け」でも「カウンセラー向け」でもなく、「聞く仕事の人へ」という言葉が自然に出てきました。

コーチ。カウンセラー。占い師。講師。ファシリテーター。

肩書きは違う。でも私には、同じ構造に見える。

人の話を聴く。言葉にならないものを拾う。問いを投げる。可能性を広げる。

そこにある本質は、とてもよく似ている。


そう考えると、私がやっていることも少しスーパーフラットなのかもしれません。

違うものを同じにするのではなく、別々に見えるものの間に流れている共通の文脈を見る。そんな見方です。

その日、銀座のはま寿司で尾形光琳を見ながら思いました。

私はずっと、カテゴリーよりも文脈を見ていたのかもしれない、と。


AI Session OSも、そんな視点から生まれました。

AIの話でありながら、実は対話の話であり、人間の可能性の話でもある。

もし興味があれば、こちらものぞいてみてください。


とくに、「聴く仕事」の皆様へ 

▶ AI Session OS | 人間は聴く。AIは記録する。

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