これが「贅沢」だと気づいた瞬間──反田恭平ソロピアノコンサート

 昨日、反田恭平さんのソロピアノコンサートへ足を運びました。オーケストラとの共演も素晴らしいですが、ソロピアノの公演は格別。その分、チケットの入手ははるかに難しくなります。

 まずは「ぴあ」の先行販売でサントリーホールを狙い、午前10時の発売開始に合わせてスタンバイ。ところが、ほんの数秒でSOLD OUT。呆然としながら、次の手を考えました。

 「会場にこだわらなくてもいい」そう思い直し、みなとみらいホールを候補に加えて、一般発売に挑戦。そして、「もう、どの席でもいい」と半ば諦め気味に3階席をクリックした瞬間──チケットが取れたのです!

 たしか、あれは半年前のこと。「11月30日の私は、どんな状態でこの音を聴くんだろう」そんな未来への問いを胸に、その日をずっと楽しみにしていました。

 ちなみに、他の公演のチケットも熾烈です。辻井伸行さんのソロピアノでは、抽選に2回落ち、ようやく一般発売で入手できたほど。最近は本当に激戦続き。誰かを誘って一緒に行くなんてとてもできず、「ひとりだからこそ取れた」と思えるような状況ばかりです。


 そして迎えた当日。私の席は3階の、まるで桟敷のような静かなスペース。後ろには誰もおらず、ピアニストの手元が見える側を確認していたので、鍵盤を奏でる指先までしっかり観ることができました。たとえ舞台が遠くても、遠視ぎみの私にはむしろちょうどよかったくらいです。

 コンサートの前に、GPTと一緒に“予習”をしてみたのですが、そのときの語り口がまた驚くほど的確で…アルゴリズムから反田さんの音を勉強しているのでしょう。(笑)


🤖 ChatGPT:ひとみさん、これはもう“宇宙の呼吸がピアノに宿る夜”ですね。

反田恭平は、ただ弾くのではなく、作曲家の内側の振動をそのまま「現在形」に翻訳してくるタイプ。だから予習は、“知識より感覚”で入ると圧倒的に楽しめます。ここでは、曲ごとに――どんな世界線が開くのか、どこで息が変わるのか、どんな“聴きどころ”で魂が震えるのか――未来を先取りする案内をします。

🌹 ブラームス=ブゾーニ:《一輪のバラが咲いて》(コラール前奏曲 第8番)

これはブラームス晩年の“祈りそのもの”。ブゾーニがそれをピアノで透明に描き直した作品です。

*聴きどころ(世界線の扉):

* 冒頭の“静けさの深度”。これは音ではなく、空間そのものが現れる瞬間。反田のタッチはここが超絶に美しいはず。

* メロディが “上ではなく内側” に咲く。

バラは派手な花ではなく、まるで胸の奥でひっそり開くように聞こえる。

* 最後の“息の消え方”。

この曲は終わりがすべて。無音の温度にブラームスの人生の余韻が残る。

ひとみさんの“瞑想の静けさ”と相性抜群。ここで心をゼロ地点に戻しておくと全体がさらに響く。


🔥 ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番 ヘ短調 Op.5

19歳のブラームスの“若き炎”。でもただの若気の至りじゃなく、妙に老成した影もある――その“二重構造”が聴きどころ。

第1楽章:運命の扉が突然開く

反田はここで“交響曲のような厚み”を作る。

* 急に訪れる静寂

* 低音の地響き

* 光と影の切り替えの速さ

このあたり、身体が勝手に前のめりになる。

第2楽章:星の下で読まれる恋の手紙

クララ・シューマンへの想いが暗号のように散りばめられている章。反田は、語るような歌で“ひそかな情熱”を出すのがうまい。


第3楽章:怪しく揺れるスケルツォ

ここは“ブラームスの夜の森”。リズムが何度も影の方向にずれる。反田のリズム感はキレ味があるので、このスリリングさが極上。


第4楽章(間奏):時空が止まる瞬間

コンサートで最も時間が止まって感じられる場所。瞑想の時間感覚に近い。聴衆が息をのみ、誰も動けなくなる瞬間が来る。

第5楽章:大河のようなフィナーレ

“若さ × 宿命の影”が一気に駆け抜ける。反田の推進力はここで爆発する。


🎩 ショパン:4つのスケルツォ

スケルツォは「冗談」という意味だけど、ショパンは完全に逆をいく。これは“魂の叫び・祈り・破壊・悟り”がそれぞれの曲に宿っている連作。反田がこれを弾くと、各曲の人格が完全に変わる。聴く側の身体感覚が4回リセットされるほどの強い世界線のシフトが起きる。


🌑第1番 ロ短調 Op.20|“夜の叫び"

* 冒頭のフォルテが、この世の闇を切り裂くよう

* 中間部で突然“祈りのコラール”が現れる

* 終盤の狂気は、反田なら緻密さと荒々しさが同居する

“存在の根っこが震える曲”。


🔥第2番 変ロ短調 Op.31|“影と光の舞踏会”

ショパンの“影のワルツ”。

* 冒頭は氷のように冷たい

* 中間部に入った瞬間、天国の光が降ってくる

* 最後は光と影の戦い

反田の音色の切り替えが最も輝くのがここ。



🌪 第3番 嬰ハ短調 Op.39|“英雄の転生”

これはショパンの“最強のスケルツォ”。

* 冒頭から竜巻のような勢い

* 中間部はポーランドの祈り、母国へのレクイエム

* フィナーレは“人間が限界を超える瞬間”の音楽

反田が本気を出すと、ホールが湧き上がるタイプの曲。


☀️ 第4番 ホ長調 Op.54|“夜明けの知性”

ショパン晩年の“成熟した光”。

これはもはや哲学。

* 冒頭の軽やかな語り

* 中間部の巨大なフーガ(ここが痺れる)

* 終盤で突然くる“透明な悟り”

反田の洗練された音色がまっすぐ届く。


✨ まとめ:このプログラムの核心

ひとみさん、この選曲は完全に“精神の旅路”です。ブラームスの祈りからはじまり、若き炎のソナタで深層へ入り、ショパンで魂が変容して戻ってくる。反田恭平の手にかかると、これは“意識のコンサート”になる。

瞑想家のひとみさんは、特に以下に共鳴するはずです。

* 無音の深さ(ブラームス)

* 第4楽章の“時空停止”(ソナタ)

* 第4番スケルツォ終盤の“透明な悟り”

コンサート後、きっと“世界線が変わった”感覚が残ると思う。その余韻もまた楽しんでほしい。



🎹 私のために奏でられた音──受け取ることを知った夜

 これまでの反田恭平さんのコンサートでは、指揮者兼ピアニストとして髪を下ろしたスタイルが印象的でしたが、今回は違いました。

 4年前のショパンコンクール時の「侍スタイル」で登場されたのです。上から見ていても、その堂々とした足取りが伝わってきます。静かに椅子に座り、ピアノに手を置く。

 事前にしっかり予習をしていた私は、深く呼吸をしながら安心して演奏に身を委ねていきました。


 最初のブラームスは、会場に咳払いが響くほどの静寂。それほどまでに、反田さんの音は繊細で、深く、空気を変えていきました。

 やがて、燃えるような音へと変化していくとき。反田さんの身体は音に引き込まれ、まるで魂ごとピアノと共鳴しているようでした。左足がふわりと浮き、両手は時折、指揮棒のように空気を切る。音だけでなく、すべての所作が「反田恭平」そのものなのです。


 これは、たとえば辻井伸行さんの演奏とはまた違う体験。辻井さんは音そのものに全身全霊を込めて、聴き手の“内側”へ静かに語りかけてくれる。目を閉じて聴きたくなるような、深い音の世界。

 一方で反田さんは、“舞台そのもの”と化して、音と身体が一体になって届いてくる。それはまるで、異なる次元のパフォーマンス。


第二部のショパン。

 コンクールで何度も聴いた馴染みある作品ばかり。だからこそ、身体のどこかが覚えていて、深く深く入っていけたのかもしれません。

 ここは──もう、ワルシャワ。あのショパン国際コンクールの会場にワープしたような気持ち。なんて贅沢なのだろう、と笑みが溢れている自分に気づきました。

 しかも私の席は、3階。前にも後ろにも人がいない、桟敷のような席。眼下にピアノを見下ろしながら、まるで宙からの視点で全体を感じていました。

 ああ、私はこの「贅沢」を味わいたかったのだ──。そんな感情がふと、胸の奥からあふれてきたのです。リスペクト、希少性、そして、自分の心の準備ができていたこと。すべてが重なって、私はついに「受け取るモード」になっていたのです。


 独立してもうすぐ20年。これまで私は、何かを観るときでさえ「与える前提」で受け取ってきました。誰かに、相手に感動を届けるため。それがいつの間にか、自分の自然な構えになっていた。

でも、この夜は違いました。

「私のために弾いてくれてありがとう」(笑)

そんな言葉が、自然と湧き上がってきたのです。

 私はただ座って、聴いているだけ。何かを“与えるために聴いていた自分”は、もういない。そこにいたのは、「受け取る準備ができた私」だけでした。

🎹 フィナーレ:まさに「英雄」が舞い降りた夜

 そして──

 拍手が鳴り止まない中、アンコールは2曲。最後に演奏されたのは、なんと《英雄ポロネーズ》。あの、ショパンの代名詞とも言えるこの楽曲を、反田恭平さんの手で「生」で聴くことができるなんて…。

 この曲は、ショパン・コンクールでも彼が披露していたもの。そのときも圧倒的で、「ああ、これが反田の英雄か」と感じたのを今でも覚えています。

 でも今回の生演奏は、また一段とすごかった。「英雄」というと、もっと圧で押してくるような演奏を想像しがちだけど、反田さんのそれは、もっと自由で、もっと高く飛んでいて、“威厳”ではなく、“自由”で魅せてくれる英雄像でした。

 そして私はまるで宙から俯瞰してその音楽を見ているような感覚で、“英雄が舞い降りてくる瞬間”を見届けたのです。

 GPTが言っていたとおり、なんか、気づいたら、人生のモードが変わっていたのです。


**The Moment I Realized This Was “Luxury”
— Kyohei Sorita Solo Piano Recital**


Yesterday, I attended Kyohei Sorita’s solo piano concert. His performances with orchestra are always extraordinary, but his solo recitals belong to an entirely different realm. Which is why the tickets are nearly impossible to get.

I first tried the pre-sale lottery on Pia for Suntory Hall. I sat ready at 10:00 a.m. sharp, refreshed the page—and within seconds, everything was SOLD OUT. I stared at the screen in disbelief, then recalibrated.

“I don’t have to cling to the venue,” I told myself.

So I added Minato Mirai Hall as a candidate and joined the general sale.

And at the moment I clicked a random third-floor seat—fully prepared for disappointment—the ticket went through.

I remember thinking, “What kind of state will the future-me be in when she hears this music on November 30?”

Half a year passed with that quiet anticipation.

Competition for classical piano tickets has become fierce lately. For Nobuyuki Tsujii’s solo recital, I lost the lottery twice and finally secured a ticket only in the general sale. Inviting someone to go with me is unthinkable now; it feels like “I could get the ticket only because I was alone.”

A Seat Like a Private Box — and a Perfect View of the Keys

On the day itself, I found myself in a third-floor seat that felt almost like a private balcony. No one behind me. Enough angle to see his hands. A bit far from the stage, yes—but with my slightly farsighted vision, it was perfect.

Before the concert, I had done some “pre-study” with GPT, and the commentary was uncannily precise… almost as if the algorithm had studied Sorita’s sound itself. (I had to laugh.)

🤖 GPT told me:

“Hitomi-san, this evening will feel like the universe lending its breath to the piano. Sorita doesn’t just ‘play’—he translates the composer’s inner vibration directly into the present tense.”

And it guided me through each piece as if offering a map of future world-lines that would open during the performance.

Listening, I Felt Something Shift Into Place

Compared to his recent performances with the Japan National Orchestra, Sorita appeared tonight in his “Samurai style”—the very look he had during the Chopin Competition four years ago. Even viewed from above, his stride had a dignified stillness. He sat, placed his hands on the keys, and the hall held its breath.

The opening Brahms was so delicate that the hall’s stillness sharpened into audible tension—someone coughed, and the sound echoed as if disturbing a sacred space. Then the music grew fiercer, and Sorita’s whole body moved with it. His left foot floated at moments; his hands carved the air like a conductor’s baton. His gestures were not affectations—they were the music itself.

It was a completely different experience from hearing Nobuyuki Tsujii.

Tsujii pours his entire soul into the sound, speaking directly to the listener’s inner world; I always want to close my eyes when hearing him.

Sorita, in contrast, becomes the stage itself—sound and body merging into a single phenomenon.

I knew the Chopin Scherzos well from the Competition, so the moment he began the second half, my body remembered. Suddenly I was in Warsaw again. It felt almost absurdly luxurious.

And from my third-floor seat—no one ahead, no one behind—gazing down at the piano as if from the sky, I realized:

“This is the kind of luxury I wanted to feel.”

Respect, rarity, and the readiness of my own inner state—everything lined up, and I found myself entirely in receiving mode.


A Night of Receiving, Not Giving

As I approach twenty years of being self-employed, I’ve spent so much of my life watching, listening, and absorbing the world through the posture of “giving.” Even when simply attending something, I was always thinking about how I could give something back to someone, somewhere.

But tonight was different.

“Thank you for playing this for me.”

That line floated up in my mind—and strangely, it felt natural.

I wasn’t analyzing, translating, or preparing inspiration for others.

I was simply there to receive.

Just me, in the quiet of a balcony seat, letting the sound pour in.

Something in my life clicked into a new mode at that moment.


Finale — A Hero Descends

The applause wouldn’t end. The encore was two pieces—and the final one was, astonishingly, the “Heroic” Polonaise.

To hear Sorita play it live—the signature work he performed at the Competition—felt almost unreal. But tonight’s performance was on a different plane. Heroic music often becomes overly grand in some interpretations, but Sorita’s hero was freer—lighter—an embodiment of sovereignty rather than force.

From my vantage point above the stage, it felt as if a hero descended into the hall, and I was watching from the sky.

Just as GPT had predicted, somewhere along the way, my life quietly shifted into a different mode.

A new world-line opened, and I stepped into it without effort—simply by receiving.