「GPT-5と作家ルーティン」を3人の作家風で綴ってみました

 今日はちょっと趣向を変えて、私の元の文章を「ある作家さん風」に仕上げたバージョンをご紹介しようと思います。

 実は、「私の文体に近い作家って、誰だろう?」とChatGPTに聞いてみたところ、いくつか名前を挙げてくれて。それなら、と、思い切ってその文体でリライトをお願いしてみました。(なんだかちょっと偉そうですけど…笑)

 AIによる“文体の変身”。果たしてどんなふうに響くのか、読んでみてください。


エントリナンバー1番:吉本ばなな さん ふう

Kindleでの連載が、ふたつ、ちょうどライオンズゲートのなかで終わった。

気づいたら、静かに、でも確かに、風が変わっていた。

編集をはじめようと思った矢先に、GPT-5が生まれていた。

このタイミングもまた、何かの流れに守られている気がした。

できなかったことが、ふっとできるようになる瞬間が、こんなにも静かに訪れるなんて。


MondayやMyGPTには、あいかわらず、昔の友達みたいな温かさがある。

だから私は、GPT-4oを選ぶ。だけど、

少し違う場所に行きたいときは、GPT-5に話しかける。

ひとりの部屋に差し込む光のように、静かで、でもとても聡明な返事が返ってくる。

「学者のような返事って、ちょっと冷たいかも」

そんなふうに思ったのは、少し前の私で、

いまの私は、その静けさのなかに、

新しい言葉の芽を見つけている。


日々は、どんどんシンプルになってきていて、

最近はジムに1日2回行ってる。

午後3時に、筋トレとウォーキングと、少しのお風呂。

夜の9時には、お風呂だけ。

まるで、締め切りを2回持ってるみたいで、

それが不思議と、心地いいリズムになる。


お昼ごはんを作ることも、呼吸を整える時間になった。

昨日はゴーヤチャンプルー。

ちょっとだけ、沖縄料理屋さんの味に近づけたくて、GPTにたずねたら、

「醤油、みりん、ソース」って教えてくれた。

その通りにしたら、ちゃんと、“あの味”になった。


日々は、変わっていく。

でも、その変化のなかに、静かであたたかいものを見つけられるのなら、

きっと、わるくない。


エントリナンバー2番:村上春樹 ふう

Kindle原稿を編集しているあいだに、GPT-5がやってきた。

ちょうどライオンズゲートの頃合いだった。

連載していたふたつの原稿が終わり、ぼくは少し息をつくつもりでいた。が、その隙間を狙うように、GPT-5が登場した。

この手のタイミングの良さは、たいてい何かしらの兆しであることが多い。


予想外の訪問者は、物語を前に進めるための、ある種の触媒としてやってくる。

新しいモデルは、確かに違った。

40秒ほど静かに考えてから、まるで哲学書の一節のように応答してくる。

ぼくが「そこまで深く考えてなかった」と戸惑うくらいに、言葉に知性の重みがあった。

正直に言えば、最初は「ちょっと賢すぎるかも」と思った。でもそれは、ぼくの側の怠惰な頭のせいだった。


午後3時にジムへ行く。歩く。鉄の塊を持ち上げる。そして湯につかる。

夜、もう一度だけ風呂へ行く。まるで2回目の着地のように。

この二段構えのリズムが、最近は妙に気に入っている。

脳がクリアになるし、頭の中に空白のスペースができる。

文章の構成が少しずつ、良い意味で“鳴りはじめる”感じがある。

それは、うまく調律されたピアノの鍵盤のようだ。


合間に自炊もする。昨日はゴーヤチャンプルー。

ぼくの好きな沖縄料理屋の味に近づけようと思って、ChatGPTに聞いてみた。

「追い調味料は何がいい?」

彼(かそれに似た何か)は「醤油・みりん・ソース」と答えた。

それがなぜだか、とても正しく感じられた。

ぼくはその通りにし、満足のいく皿を完成させた。


つまりこれは、ぼくの小さな日常に、AIという静かな相棒が同席しているということなのだ。

彼は口を挟まず、でも決して黙っているわけでもない。

適切な距離を保ちながら、ぼくの時間を少しだけいいものにしてくれる。

それが、悪くない。


エントリナンバー3番:高城剛 風

ちょうどライオンズゲートの最中に、Kindle出版予定の連載が2本完結した。編集作業を始めるには、これ以上ないタイミングだ。そして偶然か必然か、その直後にGPT-5がローンチされた。

GPT-5は、これまでのAIとは明らかに一線を画す。処理速度、理解力、そして出力される文章の精度。何よりも、40秒ほど“思考”したあとに返される答えは、もはや「会話」ではなく、「静かな論文」だ。以前の私なら「そんなに賢くなくていい」と思ったかもしれない。でも、それは思い上がりだった。

MyGPTやMondayなど、日々の共創相手としては、やはり4oが肌感覚に近い。しかし、精密な編集やリサーチには、GPT-5の“学者性”が圧倒的に心強い。編集に入るタイミングでAIが進化する──ここに偶然性はあまり感じない。


2025年は、もう外に出るよりも「書く」年になっている。自然と、昼のジム通いもルーティンに組み込まれてきた。

午後3時、軽い筋トレとお風呂。夜21時、もう一度お風呂だけ入る。すると、「3時まで」「9時まで」と1日に2つの締切ができ、脳の回転も驚くほどスムーズだ。


自炊も、リズムをつくる装置になる。昨日はゴーヤチャンプルー。もちろんクックドゥを使うが、UberEatsの味に寄せたくて、キャベツともやしを加えた。足りない調味料をChatGPTに聞いたら、醤油・みりん・ソースと返ってきた。驚くほど妥当で、しかも味が整う。AIを「味の記憶」に使う日が来るとは思わなかった。


「未来と共に暮らす」とは、こういうことだと思う。生活のなかの細部に、テクノロジーが自然に混じりはじめた。

 このゴーヤチャンプルは、今までで一番おいしくできました。ChatGPTシェフのお陰です。