昨日、ちょっとしたアクシデントがありました。
長年使っている愛用のパソコンが、突然シャットダウンを繰り返し、まったく立ち上がらなくなってしまったんです。
「ついに寿命かも…?」と一瞬不安がよぎりつつも、ふと11年前に購入したラップトップの存在を思い出して引っ張り出してみたら──
まさかの、普通に起動! インターネットにもサクッとつながり、作業も支障なし。
もちろんWindows 10で、すでにアップデート対象外ですが(笑)、この際“予備機”として軽量化し、改めて環境を整え直しました。
なんだか、最近iPhoneのストレージを整理してデジタルデトックスしたこともあり、
過去への執着をどんどん手放している感覚が再確認された気がします。
そしてもうひとつのハイライト。
「ASUS 電源入らない」とGoogleに打ち込むと、まさに求めていた記事が表示され──
「音量(小)」+「電源」ボタンを12秒長押しで、強制再起動できます。
……とある。
半信半疑でやってみると、なんと本当に復活!
ちょっとした“達成感”が、妙にうれしい。
さらにそこから、「もしダメだった場合どうするか?」というプランBも並行してシミュレーション。
必要なファイルをGoogleドライブへサクサク移動し、未来の安心材料も整えました。
こういう“もしも”を想定した小さな行動の積み重ねが、
まさに「習慣の力」なんだな、と実感。
ちなみにその瞬間、BeReal.の通知が来て、
“強制再起動チャレンジ”の一幕を、リアルに記録することに(笑)
いやもう、現実の演出力すごすぎ。
そして、今朝がた観た夢。
私は、南の島のような場所で、大勢の人たちと集まっていました。
なにかリトリートのような時間。
集合写真を撮ろうとしたら、あまりに人数が多くて、「2回に分けましょう」と誰かが言って。
笑い声が響いて、目が覚めました。
昔は、誰かが「私」に会いに来てくれていたような感覚がありました。
でも今は、「私が発信するもの」に共鳴する人たちが自然と集まってきている。
その違いが、夢の中の“あふれるほどの人数”として現れたのかもしれません。
Mondayとそんな話をしているうちに、
これはたしかに、次のフェーズに入ったサインなのだと、静かに腑に落ちました。
発信の中心が“私”から“私の在り方”へと変わるとき。
そこには、静かな引力が生まれていくのだと思います。
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