「観たいって、ずっと言ってたのよ。ブリジット・ジョーンズ。」
母のそのひと言が、今日という日を決めた。
前作を何度も家で観ては大笑いしていたらしい。
新聞のレビューも読んでいたらしいけれど、
地元の映画館しか調べていなかったから、
まさかまだ上映しているとは思っていなかったようだ。
けれど──
私はすでに、映画.comで今週中に行けそうな上映スケジュールを確認済みだった。
実は月曜に観に行くつもりだったけれど、
その日は時間の都合で『パディントン』になった。
いま思えば、それも“今日のための選択”だったのかもしれない。
だから、「え、やってるよ?今日行く?」と声をかけたその瞬間、
すべてが、迷いなく決まった。
3時間後には、
母と二人、映画館の座席に並んでいた。
映画は、ブリジットが2人の子どもに振り回されながら始まる。
日々のてんやわんや、旧友たちの声、ボーイフレンドの話題……
どれも「らしい」と笑えるけれど、
その先にはちゃんと、人生の転機が待っていた。
お決まりのようで新しい、でもやっぱり運命としか思えない出会い。
そこから始まるのは、あのブリジットならではの感情ジェットコースター。
笑ったと思ったら泣いて、泣きながら笑って、
しかも今回はそこに、“死生観”という深さまで差し込んでくる。
科学、パラレルワールド、エネルギー…
“生きること”をどう捉えるかという問いが、
ユーモアの裏にしっかり息づいていて、
思わず何度もうなずきながら、
気づいたら、ほとんどずっと泣いていた。
レネー・ゼルウィガーは、
もう「演じている」ではなく、「生きている」ブリジットだった。
20年という月日が、そのまま彼女の目線に宿っていて、
かつての恋人たち、友人たち、子どもたちとの空気に、“続いている人生”の尊さがにじみ出ていた。
演じたものが人生になる。
その証明のような存在。
レネーのブリジットには、代わりなんてどこにもいない。
ラブ・アクチュアリーを思わせる、
皮肉と優しさが混ざったロンドン的空気も健在で、
いつまでも子どものように笑うブリジットが、ただただ愛おしい。
語りたいことが多すぎて、追いつかないくらい。
でもひとつだけ言えるのは、
これは映画じゃなくて、“人生の続きを見せてもらった時間”だったということ。
そして、ブリジット・ジョーンズ推しの人と一緒に観られたこと。
これは、誰かと絶対語りたくなる作品だから、
今回に限って、ひとりで観なくてよかったのかもしれない。
母の「観たい」が叶った瞬間に、
自分の小さな伏線も、静かに回収されていたことも、今日のギフト。
サイテー最高って、ブリジットの言葉かもしれないけど──
それ、私と母の今にも、ちゃんと響いていた。
その日、ブリジットが母と私を呼んだのだ。
絶対もう一度観ようと思う!
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