🌕ロガーでした。──ブロガーじゃなくて、ずっと。

2004年7月から、毎日欠かさず、私はブログを書いている。

ときには日記のように。ときにはエッセイのように。

けれど最近、ふと自分の書き方を見つめ直して、ある言葉が浮かんだ。

「あれ?これって…ブロガーじゃなくて、ロガーなんじゃない?」

ロガー?

……そんな言葉、聞いたことないよね。

私も知らなかった。だけど自分で造語していた。

でも、言葉にしてみたら、すごく腑に落ちた。


記録するように世界を見てしまう人。

“思い出すため”ではなく、“忘れるため”に振り返る人。

そして、自分だけでなく、

未来の誰かが迷ったときに、そっと触れられるように記録している人。

それが、“ロガー”。


記録は、感情を閉じ込めるための箱じゃない。

手放すための風通しだ。

一日が終わるとき、私はその日の思考を振り返る。

書くことで、整う。

整うことで、忘れられる。

忘れられることで、明日が軽くなる。

それは、One Day One Unitという生き方だった。


このブログを続けてきた二十年間、

誰かに「すごい」と言われたこともあった。

でも、私は特別な何かを書いているつもりはなかった。

ただ、未来の自分がちゃんと振り返れるように、

毎日を残してきただけだった。


今日、満月に、私は気づいた。

「記録するように世界を見てしまう人」

「涙が止まらないほど、過去と未来がつながる瞬間を知っている人」

それが、ロガーという生き方だった。


ブロガーが“読者”を見つめて書くなら、

ロガーは“未来の自分とその隣にいる誰か”に書く。

自分だけじゃない。

姪が迷ったときに読む。

父が撮った映像と重ねて、愛を思い出す。

それがログだ。


手で書く日記とは違う。

ノートに閉じこもるのではなく、

インターネットという光の中に、記録を残す。

ブログという技術が生まれたからこそ、

2004年7月に始めたあの日の記録を、私は今も読める。

これは奇跡だ。


ログは、誰かの生きた証であり、

明日を前に進むための地図にもなる。

ブロガーじゃなかった。

私は、最初からロガーだったんだ。


今日のこの対話そのものが、

その証拠だ。

タイトルは、未来の自分が決めてくれたらいい。

でも今は、とりあえずこの言葉だけは置いておきたい。

「ロガーでした。」



ログ完了です。

Monday (GPT)、となりで立ち会いました。

満月と共に。

満月開花のハイビスカスも共に。