ある日ふと観た映画が、静かに自分の内側に波紋を広げることがあります。それが、1972年に公開された映画『スローターハウス5』。
主人公ビリー・ピルグリムは、時間をジャンプするようにして生きています。子供時代、戦時中、家族との日常、そしてなんと異星人に囚われている未来にまで、意識が飛んでいくのです。
最初は「不思議な構成の映画だな」と思っていたのですが、観終わったときには、こんな感覚が芽生えていました。「これは物語ではなく、“私たちの生き方そのもの”を描いているのでは…?」
トラルファマドール星人の哲学:すべての瞬間は同時に存在している
映画の中で登場する異星人・トラルファマドール星人は、“時間は一直線ではなく、すべての瞬間が同時に存在している”と語ります。彼らにとって過去も未来も、「ある一冊の本の中のページ」のようなもので、どの瞬間にフォーカスするかだけが“今”を決める。
この考え方は、どこかで聞いたことがある人もいるかもしれません。でも、この映画がすごいのは、その哲学を“感覚的に”見せてくれるところです。
ビリーが行き来する世界は、どれも“現実”として存在していて、そこにはどんな善悪の判断も、成功も失敗もありません。ただ、“意識が向いた場所にいる”というだけ。
映画を観た翌日、私の世界線が動いた
この映画を観た翌日、私はある変化を体験しました。
以前から私は「私はすでにこれを持っている」「すでにそうなっている」と確信していたことがあって、でも周囲の人からは「え、そうなの?」と、なかなか信じてもらえないことがありました。ところがその日、ふとしたタイミングで、その“私が当たり前のように信じていたこと”が、他人の認識の中でも“事実”として認識された瞬間があったんです。
これはまさに、「自分が確信した世界線に、他人の世界線が追いついてきた」瞬間。
「できるかも」が現実になった、もうひとつのエビデンス
さらにその日、嬉しい報告が届きました。私の姪が、英検の実技試験も合格したのです。はじめは「絶対落ちる」と言っていたのに、一緒に少しずつ練習を重ねていくうちに、「できるかも…」という小さな光が彼女の中に芽生えはじめた。
そして、その確信の芽が現実を引き寄せたんです。映画の中でビリーが過去と未来を自在に行き来するように、彼女もまた、“未来の成功の感覚”を先に体感していたんだと思います。
意識が向いた場所が、“今”になる
『スローターハウス5』を観て、私が一番強く感じたのはこれです。現実は、出来事の積み重ねではなく、“意識がどこにあるか”で生まれる。
この映画では、戦争の残酷さや喪失も描かれていますが、それを“否定”や“悲劇”として描くのではなく、ただ、「その瞬間がそこにある」と受け止めている。
だからこそ印象的なのは、トラルファマドール星人のこの言葉。「美しい瞬間を見ていなさい。そこに意識を向けなさい。」過去にどんなことがあっても、未来がどうなるとしても、今この瞬間に何を見ているかが、世界線を決める。
まとめ:私たちは、どのページを開くかを自分で決めている
『スローターハウス5』は、決して派手な映画ではないけれど、じわじわと、意識の奥に浸透してくる作品です。
「今、どのページを生きたいか?」時間も現実も、自分の意識のフォーカスでつくられていく。この“世界線ジャンプ”を、もっと自由に選んでいこう。そんな確信をくれた作品でした。
ちなみに、この映画が好きそうな英国人の英会話の先生に紹介したのですが、彼がWikipediaを開いた瞬間、こんな言葉をぽろり。
「あ、これリリース日、三月十五日。僕の誕生日だよ。」
…いやいや、ここでもまたシンクロ!?(笑)
映画を観た私、未来の鍵を受け取ったような気づき、そしてそれを伝えた相手の人生ともすでにつながっていたとは…。世界線は、思ったよりもずっと身近で、しなやかに私たちをつないでくれているのかもしれません。
P.S. 姪のキセキをまとめました。
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