『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』鑑賞。

 フジコ・へミングさんを追った2作目のドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』が公開されています。追悼で作られたのではなく、きっとフジコさんもこの映画の上映日を楽しみにお待ちになっていたに違いありません。しかし、公開を待たずして、2024年4月に永眠されました。92歳でした。

 6年前に公開された1作目『フジコ・へミングの時間』がきっかけで、私はフジコさんのコンサートに足を運ぶようになりました。サントリーホール、紀尾井ホール、オペラシティ、すみだトリフォニーホールなど、何度も。ですので、この映画を楽しみにしていました。

 今作は2020年から4年間の軌跡を、珠玉の演奏とともに綴る作品となっています。映画は、サンタモニカの自宅から始まり、壮大な人生の様々な場面へと観る者を誘います。戦時中を過ごした岡山で眠る思い出のピアノとの再会、父や弟との懐かしい記憶、コロナ禍での祈りに似た演奏、横浜での光の演出の中の感動的なステージ、そして秘められた恋の告白まで。2023年3月には、多くの偉大な音楽家たちが歴史を刻んできたパリのコンセルヴァトワール劇場での、フジコさんにとって悲願のコンサートも収められています。

 特に印象的だったのは、コロナ禍での姿です。90代という高齢にもかかわらず、マスクとフェイスシールドを着用して無観客配信コンサートやチャリティーイベントに臨む姿、自宅からのライブ配信でファンとつながろうとする姿勢には、深い感銘を受けました。

 サンタモニカ、京都、下北沢、パリという4つの自宅からの映像も見どころです。また、疎開先の岡山を訪れ、当時弾いていたピアノで演奏する場面は、時を超えた感動を呼びます。90代になっても世界を飛び回る姿からは、尽きることのない情熱が伝わってきます。

 今回もフジコさんのご自宅のインテリア、交友関係も興味深く描かれています。どの自宅にも必ず家族の写真が飾られ、幼い頃に別れた父親の写真も大切に保管されていました。興味深いのは、ガラスケースに収められた「宝物」たち。華やかなジュエリーではなく、一見ガラクタのような品々ですが、それぞれに深い思い出が刻まれているのです。アンティークの家具も相まって、まるで19世紀の音楽家たちと共に生きているかのような空間を作り上げていました。

 「心は16歳から18歳のまま」と語っていたフジコさんらしく、時が止まったような独特の世界観が、その魅力を一層引き立てています。

 映画では、ショパンの「黒鍵」「エオリアンハープ」「ノクターン」、リストの「ラ・カンパネラ」、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」、ドビュッシーの「月の光」など、誰もが知る名曲の数々が、フジコさんの演奏で華やかに彩られています。

 久しぶりにまたフジコさんのコンサートを訪れたかのような。映画館での視聴は、まさにコンサートホールで鑑賞しているような錯覚に陥りました。

 「人生は苦しいことがある方がうまくいくんじゃないかな」この言葉、フジコさんらしいですよね。

 幼少期の祖国ドイツから日本への移住、戦争体験、お父様との別れ、世界進出のチャンスとなったコンサート前日の突然の難聴。数々の苦難を経験されながらも、むしろそれらを糧として、より深みのある音楽を奏でる力に変えていかれました。

 NHKドキュメンタリー番組で一夜にして有名になり、60代後半からの世界的な活躍も、それまでの人生経験があってこそだったのでしょう。苦しみを避けるのではなく、その経験を通じて人生の機微を理解し、それを音楽で表現する―フジコさんの演奏に込められた豊かな感情表現や独特の間は、まさにそうした人生哲学から生まれたものかもしれません。

 この言葉は、フジコさんご自身の人生を通じて紡ぎ出された深い洞察であり、だからこそ多くの人の心に響くのだと思います。華やかな演奏家としての姿の背後に、こうした深い人生観を持っておられたことに、改めて感銘を受けました。

 唯一無二、絶対にフジコさんみたいな人はこれからも現れないでしょう。サンタモニカ・京都・下北沢・パリ…4カ所もお家があって、ピアノが置いてあって、フジコさんの絵とご家族の絵が飾られている空間。フジコさんは死んだあとも残してほしいとおっしゃっていました。下北沢とか、フジコヘミングミュージアムになってくれたらうれしいです。