フジコ・ヘミングさんありがとう。

 今朝、フジコさんの公式LINEより、珍しくメッセージが届いており、フジコさんが天に召されたことを知りました。2018年に、映画『フジコ・ヘミングの時間』を、銀座のミニシアターで観てから推しとなり、何度もコンサートへ行きましたので、フジコさんの演奏と姿が、私の心の中で流れていきました。

 そのようなご報告は、突然の出来事ではありませんでした。2023年12月のコンサート中止は、フジコさんの自宅での転倒が原因でした。彼女の年齢を考えれば、やむを得ないことだと受け入れていました。気づけば払い戻しの期間が終わってしまいましたが、それもまたよしと思いました。ずっとフジコさんを応援したいのですから。

 しかし、この日が来てしまいました。歩行器でゆっくりと歩みを進めてピアノの前に座り、90歳を超え、世界中で演奏を続ける彼女の姿を見て、どこかで彼女は不死身ではないかとさえ思っていました。


 今朝の英会話レッスンで、ふと昨年書いたフジコさんの記事を英語で読むことにしました。驚くべきことに、その記事はまさに去年の今日に書かれたものでした。

 この記事を読みながら、1年前の記憶がよみがえってきました。会場の雰囲気、自分の席、隣に座っていた人、フジコさんの衣装、最後、フジコさんにプレゼントをあげて、握手を求めていたおばさまのこと…。

 私はその中で、「フジコさんの演奏を聴いて、涙が流れる境地にいつなれるのだろう?」と書いていたのですが、今日はその日になりました。フジコさんが天国で何をしているのか、想像すると同時に、彼女の音楽がいつまでも私たちの心の中に生き続けることを確信しています。

 フジコさんのファンになってから5年。サントリーホール、紀尾井ホール、オペラシティ、東京国際フォーラム、すみだトリフォニーホールなど、コンサートのたびに「あと何回彼女の演奏を聴くことができるのだろう?」と祈るような気持ちで席につきました。手が痛くても、調子が悪くても、彼女のピアノが止まることはありませんでした。「間違えたっていいじゃない、機械じゃないんだから」。その通りです!

 私にとって最後のコンサートになった、東京国際フォーラムでの「リストのハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調」は、フジコヘミングさんの独特な間と、90歳とは思えぬ迫力とスピードで、誰よりもこの曲をカッコよく弾かれるんです。フジコさんの生き様がそこに投影されているようでもありました。

 もう、フジコさんの生演奏を地球で聴けなくなるんですね…。ピアノだけでなく、フジコさんの生き様、ライフスタイル、ファッション、アートワークまで、流れに任せて、運命を受け入れて、地球で生きるってこういうことだと教わった気がします。憧れの晩年の過ごし方のローモデルです。

 こちら、2022年のブラチスラヴァでのソロコンサートの動画です。フジ子さん90歳でしょうか。やはり寂しくなりますね。動画の43:35~「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴いて、悲しみに浸ろうと思います。もうフジコさんのコンサートのことをこのブログに書けないこともとても寂しいです。

 フジコさんが舞台から去っていくとき、観客に向けていつも笑顔で手を振ってくれましたね。そんな手を振るピアニストは、フジコさんだけでした。フジコさん、ありがとう。ご冥福をお祈りいたします。


P.S. 2024年秋にフジコさんの映画が公開されるそうです。