ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団&辻井伸行さんコンサート。

 3月は、サントリーホールでの辻井伸行さんのソロピアノコンサートで、カプースチンのJAZZYなクラシックを弾かれ、これ以上のスタンディングオベーションを見たことがないくらいに感動の嵐で、魂を揺さぶられるコンサートでした!

 今回は、文京シビックホールにて、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団とのコンサートです。座席は、前から20列目のやや右側。舞台全体が見渡せる位置で、オーケストラ全体が見渡せる位置でした。


■ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第三番』

 まず前半は、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団と辻井伸行さんです。パンデミック明けで外国のオーケストラも大きな楽器と一緒に来日されたことに、まず感謝の気持ちが湧いてきました。ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団は、イギリスの国民的な管弦楽団だそうです。

 辻井さんが、指揮者のペトレンコ氏に連れられて入ってきました。ペトレンコ氏が高身長なので、辻井さんがとても小さく見えました。かわいいです。(笑)

 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」は、情緒的なパワーと感情の深さを持ちながら、美しさと壮大さを兼ね備えた作品です。ピアノは超絶技巧で、ピアノのお休みの間に、辻井さんがポケットからハンカチを出して、汗をぬぐう姿が何度も見られました。

 辻井さんは、ピアノを弾かない間、身体全体を動かしながら、これは身体的な特徴かと思いますが、オーケストラの音を良く聴いているのだなと感じさせます。

 ピアノを弾くときは、顔をかなり左右に振りながら上半身も使って音を奏でているように見えます。そしてオーケストラ全体の音に負けないくらいの力強さで、ピアノを叩く姿は、全身全霊に見えて、心を揺さぶれます。

 辻井さんは音だけを頼りに、オーケストラとシンフォニーを奏でるわけですが、それにしても息がぴったりすぎて、周りがみえていないのに、動きがオーケストラとシンクロしているのです。来日したオーケストラの方々なのに、世界の辻井さんは、流石になれていらっしゃるのでしょうか。自我が削ぎ落された精神なのか、とても一体感を感じました。

 

 ピアノ協奏曲第三番の最後の楽章では、荘厳なピアノの旋律と壮大なオーケストラの音楽が融合し、情緒的なクライマックスに達します。ここが情熱的で、すごくCOOLなところです。そして、オーケストラとピアノと同時に終わるのですが、辻井さんが、両手を勢いよくピアノから離し、達成感と満足感が強く伝わってきました。

 大成功、満面の笑みの辻井さんは、四方八方におじきをされました。そして、クラシックコンサートは、2,3回、舞台袖を出たり入ったりしますが、そのたびに拍手が大きくなっていき、辻井さんはニコニコしながら舞台中央に佇み、鳴りやまない拍手の音を、身体全体で楽しんでいました! こちらまで、喜びが伝わってきます。人が喜んでいる姿が、こちらの幸せにも感じるほどです。

■辻井伸行さんのアンコール

 そして、3回目に戻ってきたとき、アンコールを弾き始めました。聴いたことのある曲ですが、タイトルがわかりませんでした。ブログを書くために今調べたら、ピアノソナタ第8番「悲愴」より第二楽章 ベートーヴェンでした!

 なんと、後半のチャイコフスキーの「悲愴」にリレーしていたんですね。ベートーヴェンの「悲愴」第二楽章は、優しさと静けさを感じさせ、耳に心地よく響き渡ります。悲愴というわりに、木漏れ日の中に光を見出すような、穏やかな曲でした。

 再び、辻井さんに大きな拍手が向けられて、辻井さんは聴衆の方を向いて、手を振るというサービス精神でした。かわいいです。(笑)

以下、辻井さんの「ピアノ協奏曲第三番」がありましたのでリンクしておきます。

■チャイコフスキー『悲愴』

 後半は、チャイコフスキーの『悲愴』です。指揮者の解釈がプログラムに書いてあり、驚きました。なんと、チャイコフスキー最後の作品で、自分で指揮した本曲の世界初演の9日後、チャイコフスキーは自ら命を絶ったそうです…。バレエの音楽を残している、華やかなイメージがありましたが、チャイコフスキーさん…。

 全体的には、切ないメロディと力強いクライマックスが交差し、悲嘆と苦悩が交錯する中、希望の光が見え隠れし、内なる闘争と苦悩に立ち向かっていく意志を感じさせる曲です。

 第三楽章は、情熱的で壮大な音楽が広がります。オーケストラが激しく奏で、感情の高まりを生み出します。なので、ここで終わりだろうと思って、フライング拍手の音がしました。でもだいたいの人が第三楽章と気づいたので、拍手の波は広がりませんでしたが。

 このことについて調べていくと、第四楽章が静かに終わるので、ここでいったん終わり的な部分を作ったのではないかという解釈がありました。第三楽章はフィナーレの「代役」というのです! 映画『TAR』では、最初にクレジットが流れていましたが、これも同じ要素だったのでしょう。どこかで締めを作らなくてはならないということで、はじめに持ってきてしまったでしょうか。そんな解釈もできると思いました。

 さて、問題の第四楽章。(笑) 悲しみと苦悩から立ち上がり、内なる力強さと希望を見出しながらも、最後に、静かな終止符が打たれ、心の奥深くに悲しみを残して幕を閉じます。

 いくつも印象的な部分がありました。ヴァイオリンが「ドレミファソラシド・ドシラソファミレド」と弦をはじいているメロディー。

 そして最後の方で、一番右側の打楽器奏者が、なにやら楽器にかぶさる布を静かに取るしぐさが見えて、え?と思ってみていると、一発だけ青い玉のついているバチで「ドーン」と鈍い音を鳴らしたのです?! 悲愴中なのですが、笑いそうになってしまいました。あの1発のために、楽器を運んできたのでしょうか?!あの巨大なドラは、「タムタム」というそうです。

 「チャイコフスキー 悲愴 ドラ 一発」と検索してみると、(笑)解釈が見つかりました。 

そのまま第1主題が悶え苦しむようなクライマックスを築き、再び力尽きると全曲中1音だけ登場するタムタム(巨大なドラ)が低く響き渡り冥界の扉が開く。コーダはトロンボーン・チューバの有名なコラール、そして絶望の下降音階メロディーと心臓の鼓動を示す弦バス・ピツィカートによって消え入るように終わる。

48:41タムタム鳴らすのがわかります。左上のドラです。


 静かに曲が終わりました。拍手をしていいのか、今度は悩むほど。しかし、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団と指揮者のペトレンコ氏の指揮が素晴らしすぎて、少し間を開けて、大きな拍手喝采へと昇華していきました。

 以下、カラヤンの悲愴をリンクします。

 これは、オーケストラをライブで観ないと味わえない経験でした。こんなに感情を揺さぶられるなんて。

 生涯を通じて、チャイコフスキーは死を病的なほど恐れていたと言います。この作品で彼は死に面と向き合い、静かに受け入れることでその恐怖を克服したのだそうです。いやぁ、1本の映画を観おわったような、体力の消耗具合です。

 映画『TAR』を観たばかりというのもあり、指揮者がオーケストラ全体をリードしている様子が良く理解できました。楽器が音を出すほんの直前にその楽器の方向を向くから、「あ、今から打楽器来るな」とか、「トロンボーン来るな」とか、分かるのです。指揮者はアスリートのように体力を使うでしょうし、作曲家の意図を解釈し、演奏者のベストな音を引き出し、全体を牛耳っているのです。(笑) 全然立場は違いますが、反田さんが「指揮者カッコイイ!」と子供の頃思ったというのも、なんだか理解できますね。

■オーケストラのアンコール

 オーケストラもアンコールがありました。ジムノペディの二楽章っぽいなと思いながら、違うのかなと思いながら、短めの曲で、こちらも静かに終わりました。会場を出る時、「アンコールはもっと盛り上がる曲でもよかったのにね」なんて声も聞こえていたくらいです。

 調べたところによると、サティ(ドビュッシー編):ジムノペディでした。私がピアノを再開して最初に弾いたのが「ジムノペディ」でしたから、またリンクしました。しかしこちらは、ドビュッシー編ということで、ちょっとアレンジが違います。

 今思えば、あの悲愴のあとですから、ジムノペディで、心を癒す効果があったかもしれません。最高のコンサートでした。


 コンサートの余韻に浸りながら、最寄り駅に着くと、向こうから知っている顔が歩いてくるではありませんか! 

 「こんばんは!」と声を掛けると、二人してなぜか大爆笑。以前、RITZで長い間受付をしていた女性でした! 3,4 年ぶりくらいでしょうか?! 辻井さんのコンサートの帰りだ言うと、彼女も辻井さんや反田さんのコンサートをチェックしているのだそうです。相変わらずキュートでおしゃれなSさんでした。3月の金井さんの誕生日あたりに、久しぶりに金井さんとお食事をしたそうです! 今度は辻井さんコンサートで会うかもしれませんね。(笑)