『幸せへのキセキ』を鑑賞しました。
予告編を観たときは、マットくんだし、観ようかな・・・くらいの
ノリだったのですが、今日、たまたまネットでマット・デイモンが、
『幸せへのキセキ』について語っているのをみて、
「今の自分だから受けた」というような事が書いてあり、
これは、きっと深いに違いないと思いました。
それに、私が一番好きな映画は、マット・デイモンの
『グッド・ウイル・ハンティング』ですし、
昨年に観た『ヒア・アフター』もとてもよかったのです。
ということで、今日のレイトショーへ行ってきました。
結果、『Toy Story3』 よりも泣いてしまいました。
妻を失った夫が、動物園つきの物件を買って、子供たちや飼育係の仲間とともに、
動物園を再生させるリアルストーリーです。
どのように再生できたのか? の中での、
気持ちと感情面の描き方がものすごいです。
喪失感の中で希望の光となるのは、7歳の女の子。
14歳のお兄ちゃんは、喪失感で暗闇の中。
オーナーになった父親(マット・デイモン)も喪失感を持ちつつも、
冒険に挑戦し、前に進む決心をする。
飼育係のみんなは、オーナー家族を見守りながら、動物たちを支えている。
という状況の中、再生へ動き出して行くのですが・・・
やはり、“喪失感を受け入れるまでの過程“に、かなりの感情移入をしました。
私は「聴く仕事」を通して、やはり共感する土壌が随分耕されたのでしょう・・・。
気持ちを理解するというか、理解したいと思う気持ちが映画を観ていても、
自然と発揮されてしまうようになっている自分を感じます。
“喪失感を受け入れる過程“。
見ると悲しみを思い出すので、見たくないもの、
だけど、本当は見たいものだったりする・・・。
向き合うものって、そんなようなものの気がします。
でも、向き合わないと次に進めないと思った時、
人は向き合うのです。
向き合っているシーンをみては、
向き合っている登場人物の涙と一緒に、
自分の涙が流れてきてしまいました。
悲しみは十分に味わないと昇華しない・・・。
味わった後に奇跡は起こるのでしょうから。
一緒になって辛い気持ちを味わっていたら、
起きた奇跡のシーンで、今度は一緒に喜びを味わいました。
つまり、どこまでも感情移入をしてしまいました。
最後のエンドロールでは、余韻の涙が止まりませんでした。
喜怒哀楽を共に味わっていながら気づいたのが、喜怒哀楽、全て涙が出る。
悲しみを味わった分だけ喜びを味わうということです。
映画を観ながら、体感覚としてわかった気がします。
ちなみに、品川のシアターZEROで観ていたのですが、
とてつもなく高低差のある映画館で驚きました。
映画は、上から下を覗き込むように観ると、
余計に感情に響くような気がしています。
音楽を聴くときに、音を味わおうとして、
少し下向き加減になるのと同じなのかと。
体力消耗気味で映画館を出たら、
知らない方に声をかけられました。
30歳前後の男性でしょうか?
映画関係のお仕事をされている方のようでした。
年間200本はご覧になるそうです。(驚)
「あそこまで入り込んでいる人は見たことない」と言われました。笑
映画関係のお仕事をされているから、
あそこまで入り込んでいる人を見て、嬉しかったとのことでした。
映画の途中から、私を観察してしまったようで、
映画をあまり観られなかったから、2回目観ると言っていました。笑
ちなみに、その方によれば、音楽の使い方が素晴らしかったとの感想でした。
キャメロン・クロウ監督と言えば、音楽なのだそうです!
私は、そう意識はしてませんでしたが、
きっと心は自然と動かされていたのだと思います。
この映画の感動を、すぐに誰かと分かち合いたいと思っていたので、
立ち話ですが、ちょっとお話しできて良かったです。
やっぱり、映画は1人で観たい派です。
思いっきり感動させていただきました。
今のところ、今年一番の映画でした。
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