『ヒマラヤ 運命の山』アンコール上映があるというので
母、妹に誘われて行ってきました。
誘われた場合、行くまで何を観るのか題名すらうっすらとしか
覚えていない状況で、とりあえず、映画館入口で待ち合わせです。
よくわからずに連れていかれるパターン、意外とヒットするんだろうなと
期待を抱きながら・・・。
ゆりかもめに乗って行きました。
途中、日本地図のような雲を見つけたのでパチリです。
母、妹に誘われて行ってきました。
誘われた場合、行くまで何を観るのか題名すらうっすらとしか
覚えていない状況で、とりあえず、映画館入口で待ち合わせです。
よくわからずに連れていかれるパターン、意外とヒットするんだろうなと
期待を抱きながら・・・。
ゆりかもめに乗って行きました。
途中、日本地図のような雲を見つけたのでパチリです。
予告編です。
何も知らずに行ったので、始まって「英語」でなく「ドイツ語」
であることにまずびっくりしました。 笑
それから、いつ上映されたのかも知らなかったので、
やたらと古い映画ではないか? という錯覚をしてしまうかのような
字幕や映画の映像だったのです。
洗練されていない感にリアルさを感じてしまいます。
いや、狙ってそう作ったのでしょう・・・。
(日本では昨年上映されていた映画です。)
兄弟でヒマラヤ山脈のナンガ・バルバッドを目指して初登頂を果たすのですが、
兄だけしか、戻れなかったという悲劇がありました。
その悲劇の真実を暴くための、兄の講演のシーンから映画が始まりました。
やがて、兄弟の子供時代のシーンへと移り、
初登頂への苦難の道、下山中の悲劇・・・がドキュメンタリーで流れます。
ノンフィクションであり、登山家のメスナー本人の協力により映画化。
映画という、ある種作られたもののはずなのに、
作られた感じがしないほど、自然なのです。
私が印象に残っているセリフは、(だいたいこんなセリフ)
「ナンガ山はただの山で、そこに感情をつけているのは人間なんだ」
と、主人公が言うところです。
このセリフが象徴するかのようにどのシーンも、
ただそこに存在している、ありのままが映し出されたものでした。
自然の雪崩をただ見守るしかない映像が何度か流れますが、
その映像に、何かダイナミックな音とかの仕掛けが
あるのかと言うと、ただ、雪崩が起こっているのです。
もう一つ印象に残ったのが、「母」と「妻」の姿です。
ただ、見守っている、祈っている、という姿。
ヒステリックに、言葉で旦那や子供に何かを言い聞かせている
のではなくて、ただ従っているというか・・・。
流されて従っているのではなく、ありのままを見守っているところに
ぐっときました。
『言葉じゃないんだろうな』
最近、そんなことをよく考えているのです。
その二人のセリフは、本当に少ない。
もしかしたら、自然と同じような要素で女性性というものが
語られているのかもしれないとも思いました。
だだ、真実をありのままに見せられている。
だから、観た人が感じるところが、どのような捉え方も
できてしまいそうな、受け取る側の感性で、深く味わえる映画
なのではないかと思うのです。
帰るころ、東京湾の夕焼けを見られる時間になりました。
「富士山」が見えました。
写真も言葉なしで受け取り手が自由に考えられるものですね。
人から誘われていったのに、
かなり影響受けてるんじゃないのかと。 笑
いい映画でした。
体に入ってきました。
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