妹からの一冊。

昨日、妹に私の貸した小説を返してもらったら、
なぜかセットでカバーがかかったままの、
「謎の一冊」をニヤリと渡されました。
先入観がつかないようにと、彼女の独特な渡し方で。

私もカバーを開きもせず、そのまま翌朝まで放っておき、
起きて、コーヒーを飲みつつ、カバーを開くよりも先に、
題名も見ないで、「はじめに」を読みました。

「ほほう、大学生のブログか・・・。
しかも、鴻上さんが、『はじめに』を書いている!」
ブログ本だとは、予想外の展開。

先を読み進めてみると、24歳で人生が遮断されたと書いてあって、
ショックを受けました。
ブログは、その日の10日前で終わっていました。
病気でもなく、旅行先での不慮の事故…。

早速中身を読んでみると、ブログと言うよりエッセイで、
しかも小説のような文章で驚きました。

この感性の差は、一体どこでつくのだろうか?
通常の人よりもはるかに、見るもの感じるものが多い人。
それを感じたままがすーっと言葉になっている。

ネガティブな気持ちの方がたくさん書かれているけれど、
ニュートラルさを感じる描写が不思議で仕方ありませんでした。

妹は、小さい時の嫌だったことをたくさん覚えているとか。
トラウマだらけかもしれない。(爆)と言っていました。

私はどちらかと言うと、「嫌」と感じないのか?
それとも封印してしまったのか?そういう記憶がほとんどないのです。
文章を書くと、明る目の方向になるし、
寂しいとか悲しいとか、うずくまって泣いている日があったとしても、
やはり読む人がいるからと思って、どうしてもふさわしくない文章を消す。

消したところについて、自分が分かっていればいいと、
最近は整理することができるようになりました。
単に「気づいて!」って心が発したいからかもしれないので。
自分のために聞いてあげればいい声で。

でも、今日読んだこの本で、深めるヒントをいただいたような気がしています。
妹には何も言わずに渡されたけど、自分で勝手にそういうヒントかと。笑
今はあんまりうまくできていない自分がもどかしいのです。

今計算したら、ブログを始めて2654日の私。
さっき、クライアントさんに、4年前に書いた私のメールセミナーの文章が
今と全然違いますね、と感想をいただきました。
自分もそれは分かっていて、消したい気持ちも結構ありますが、
読む方へは、好評というのもあって消さないでいます。
3年前の小冊子『かないずむ』の中の私も、今の私と違う。
クライアントさんいわく、そんな変化をみさせてもらうこと自体も、
コーチングになっているとおっしゃってくださいました。

この5年間で、ずいぶん変化があったということは、
私にとっては、このまま毎日の最後に「書く」というゴール
があるということが、観察を続けることであり、
感性を磨くに繋がるということなのでしょう。