折り目正しい生活。

 ライフコーチングのクライアントさんのセッション準備用紙にこう書いてありました。
 「堀口さんのブログを見ていると、料理、運動、美容、掃除といった日常生活が折り目正しく豊かで憧れます。どうしても、家で1人だとだらけてしまい、なぁなぁな生活をしてしまいます。将来会社に出勤しないような生活には憧れますが、人が見ていないとだらけてしまう自分には難しいのかなという気がしています」

 「折り目正しい」とは、面白い言葉を使う方だなぁと思いました。
 【折目正しい】 - 態度がきちんと しているさま。行儀作法にかなっているさま。礼儀正しい。
 しかしながらその言葉は、私にとって的確であるように感じました。実際、「自分への礼儀」というところから日常生活を考えているところがあります。

 ことの発端は、2010年に奈良の春日大社へ行った時のことでした。そこにはいくつもの神社があるとランチをしているときにガイドブックで知りました。せっかく来たのだから、メインだけでなく、他の神社もお参りしようと思いました。
 それから目当ての神社が閉まるギリギリに到着しました。靴を脱いで上がる小ぢんまりとした神社でした。急いで靴を脱いで上がると、「履物を揃えなさい」と冷静な低い声が聞こえたのです。見えないところにお守りを売っているところがあって、そこの女性に言われたのです。

 人がいることを知りませんでした。私は進行方向のまま、ただ靴を脱いだだけで、靴を回転させていませんでした。自分の礼儀作法のなっていなさに落胆し、自分を粗末に扱っていることも色々とあるんだろうなと思いました。かなり落ち込みすぎて、気分が戻るまで時間がかかるほどでした。

 そして「自分のために自分に礼儀正しく接することが大事なんだ」と気づきました。自分を大切にするということが、どういうことかわかったのです。それから下駄箱に靴を毎回しまうように心がけました。気持ちがいいですし、玄関の床もよく磨くことができます。

 人が来るから部屋をきれいにするのは当たり前のこと。それ以前に、自分をもてなすのは自分しかいないということです。ひとりで暮らしていると、特にそう思うことができます。自分のために折り目正しくすることを心がけています。 
 自分をもてなすことができるようになると、人のために何かをするとき、本当に相手のための時間として集中することができます。自我を消すことができるようになったのだと思います。

 2008年に買ったインテリアの洋書『Your Home as a Sanctuary』。英語ができる友人が、「この本の題名いいね~」と言っていたのを思い出します。