映画『君と歩く世界』鑑賞。

 フランス映画『君と歩く世界』鑑賞しました。
初日のレイトショーは、男×2+女×1の3人の貸し切り状態でした。



公式サイト

 両足を仕事の事故で奪われたステファニーと、5歳の子持ちシングルファーザー、アリとの出会いから再生への物語です。
 私のフランス映画の印象なのですが、いつもの人物に近い撮影に、映像酔いしてしまいましたが…。ま、そんなところが、映画、映画していなくて、ただその状況を眺めているような感覚。設定が、ニースとモナコに近い南仏とあって、自然の光が沢山取り入れられたその映像は美しかったです。

 とても淡々と流れていく中で、人が人に惹かれていく瞬間というところが、明らかに浮き彫りになっていました。そして、失意のどん底にいた、ステファニーが、再び女性として、自信を取り戻していくところというのは、特別に誰かに何かを言われたとか、してもらったとか、そういうところではなく、自分で、「あ、私大丈夫なんだ」と、体験して思える時であって、アリは、大げさに引っ張ろうとしないその距離感が、ステファニーの前進する力を引き出したかのように見えました。相手が、自然にしてくれているから、自分をさらけ出してみようかなと、自然に思っちゃうんでしょうね。

 一方、アリもステファニーの再生していくところに寄り添うことによって、自信を取り戻していったかのようでした。アリは、寄り添おうと思ってそうしているというよりも、根っからの優しさが、ステファニーがいることで、引き出されたのだと思います。実は、お互いがお互いを支え合っていたように見えました。

 『最強のふたり』も、『世界にひとつのプレイブック』もそうでしたが、再生の物語には、いつも寄り添う距離感を観させられます。相手をありのままに受け入れることが、自然と相手の力を引き出していくのでしょうか。

 そして、起承転結の「結」。ネタバレしてしまうので、書きませんが・・・。またまた、「転」で映画が終わってしまったような・・・さすがフランス映画でした。

 とても評価の高い映画とあって、もっと、感動のシーンやクライマックスを観させられるかと思っていましたが、「マイナス」から、「普通」になるところが、クライマックスなのでしょう。つまり・・・・やっぱり、そうなんだと思わずにはいられませんでした。

 また、寄り添う形を観た余韻が続いていたのでしょうか…。映画を観てからしばらくたって、過去の自分の中に、あれは自然と寄り添うが、できていたのかもしれない…という部分が、今更ながら見つかり、カタルシスになりました。