問いのタイミング。

先日、外国人の友達に、「ブログには何を書いているの?」と質問され、
相手が日本人だったら、話しながら、答えに辿りついていくのでしょうが、
それが、英語となると、スラスラ出てこないので、答えるのが難しいと思いました。

こちらのブログは、「日常のこと」ですが、お仕事ブログの方の答えに困りました。
どれくらい書いているの?(量) という質問も、iPhoneをスクロールして、
ビジュアル的に見てもらうことしかできずに・・・。




しかしながら、せっかく相手が質問してくれたことなので、
あとからでも、メールで答えてみたいなぁと思い考え続けていたら、
翌朝に2回連続で同じようなセッションがあり、
「そういうことか!」と、質問の答えがかなりシンプルにまとまりました。

ここ最近、そういうことかな・・・と、思いつつあったのが、
急に魚が引っ掛かって、釣り竿を引き上げたかのように、
ひょいっと、心の底にあったものが釣れた感じです。

これまで、日本語としても、シンプルに伝えられたことがなかったので、
ちょうど答えられるときに、問いというものは、やってくるものだと思いました。
いつも、そのときのしっくり加減で、マイナーチェンジを繰り返していましたが、
ようやく、終着点に辿りついた感じです。

その、辿りついた答えは、
「自分を幸せにすること・相手の幸せを考えること」の考察です。
ずっと、このことについてクライアントさんとのセッションで考えてきているのです。
ここまでシンプルになれば、ようやく英訳できました。(笑)
そう、メールに書けた時、なんだか嬉しい気分になりました。

問いかけって、「そろそろ、口に出して答えてみなさい」と、
神様がそう仕組んでいるのかな? とたまに思っています。