私の育った時代は、八ミリを持っている家庭は、わりと珍しいことでした。きっかけは、わたしが生まれるころに人から貰ったことだったようで、それから父の趣味となったようです。
撮影し終わったフィルムを透明のテープで繋げる作業している父の様子を覚えています。パソコンはまだない時代なので、本当にフィルムです。
編集が終わると、家の応接間と呼ばれるところに皆で集まって、スクリーンを掛けて鑑賞です。映写機からでてくる光はともまぶしくて、光のライン上に空気中の埃が浮いているのが見えて、ノスタルジックな光景です。
自分たちが体験したことを、映像でもう一度観ることで、楽しかった旅行として、さらに潜在意識に刷り込まれていったのかもしれません。実体験よりも、八ミリで観たほうの記憶が残っていたりします。
撮影し終わったフィルムを透明のテープで繋げる作業している父の様子を覚えています。パソコンはまだない時代なので、本当にフィルムです。
編集が終わると、家の応接間と呼ばれるところに皆で集まって、スクリーンを掛けて鑑賞です。映写機からでてくる光はともまぶしくて、光のライン上に空気中の埃が浮いているのが見えて、ノスタルジックな光景です。
自分たちが体験したことを、映像でもう一度観ることで、楽しかった旅行として、さらに潜在意識に刷り込まれていったのかもしれません。実体験よりも、八ミリで観たほうの記憶が残っていたりします。
そんな八ミリのたった1部を最近DVD化したというので、実家へ観に行きました。やはり、八ミリで観た記憶がなんとなく残っていて、この映像覚えている、という感覚がしました。
基本的に、私の元気さは、子供のころから全く一緒。ロングへアーだったことに、ゆめちゃんが、驚いているくらいで。「ひとりアルプスいちまんじゃく」を披露しているシーンがありましたが、ゆめちゃんも同じことを、今やっているし、子供のすることって、あんまり変わらないんですね~。とくに何の新発見もなく、映像を観ていました。
ただ、この八ミリのない子供時代だったら、きっと今の自分ではないことだけは明らかです。日々を記録したり、映像を撮るのが趣味だったり、映像はやっぱりプロジェクターで観たいし。また、映像を撮るからこそ、その日を特別にしたいと思ったりする、日々をなんとなくで過ごさないという感覚を、知らず知らずに持ったのかもしれないと思います。
人生が楽しくなる質問集!『1000問の質問集』 now on sale !
0コメント