Day 2-1 世界遺産プラハ観光|Prague Sightseeing

 宮殿のようなベッドルームでの心地よい睡眠のため、時差ボケなく7:30に起床。旅行の前に買った薄いグレーとピンクのアルパカニットと濃いネイビーのワイドデニム、薄いカーキ色のボンバージャケット&ボディーBAGという全て新しいファッションでプラハの街を観光することにしました。とくにフロントに掛けるBAGは旅行にぴったりでした。添乗員さんは、「リュックサックでは、宮殿やお城の観光はできません!」と言っていました。決まりなのだそうです。パンデミック明けということもあり観光地にスリが多発して、観光地で働く人まで被害に遭うなんてこともあるそうです。(一応、私たちの観光したところは、スリがいる気配はありませんでしたが、気を引き締めて)

 モーニングブッフェも、シャンデリアのある宮殿のようなお部屋で。午前0時ころチェックインして、滞在時間がたったの7時間?!ですが、ここは5つ星ホテルでした。レストランは満席でしたが、私たち以外日本人観光客がいませんでした。

 モーニングブッフェと言えば、その場でオムレツを作ってもらえるコーナーがある! 日本だと結構並んでいるイメージがありますが、誰も並んでいません。ということで、「マッシュルームとハム」のオムレツをオーダーしました。シェフは20代くらいのメガネをかけた細見の背の高い男性で、理系のような風貌。ちゃんと美味しいオムレツを作ってくれるのかしらと心配に。2つ頼んだのに、1つしか作ってくれませんでしたが、わりと大き目だったので、「It's fine.」と言って母と分けました。(笑)

 部屋に帰り、荷物を持ってチェックアウト。今日はプラハ城、カレル橋などの世界遺産を巡り、夕方にチェスキークルムロフに向かうルートです。

■プラハ城(Pražský hrad)

 プラハ城(Pražský hrad)は、9世紀に創建され、その後何度も改築や拡張が行われています。ギネス世界記録によれば「世界で最も広い古代城」とされており、面積は約70,000平方メートルにも及びます。プラハ城は王宮、皇帝の宮殿、および現在ではチェコ共和国の大統領の公邸として使用されています。あまりにも巨大で、写真に納めきれない!


■聖ヴィート大聖堂(St. Vitus Cathedral)

 チェコ国内で最も重要な宗教的建築物の一つとされており、多くの王たちや聖人、主教がここで戴冠したり埋葬されたりしています。

 聖ヴィート大聖堂の建設は、1344年に始まりましたが、完成までには約600年もの時間がかかっています。主な様式としてはフランスのゴシック建築に影響を受けた「フレンチ・ゴシック」が用いられています。内部は壮麗なステンドグラス、美しい彫刻、精緻なレリーフで装飾されており、特に、アール・ヌーヴォーの巨匠アルフォンス・ミュシャによるステンドグラスも有名です。

 この日は、何かイベントがあったのか、世界遺産の中に入れないという残念なことに。代わりにChatGPT4にイラストを描いてもらいました。(笑)

■旧王宮(Old Royal Palace)

 代わりに旧王宮のウラジスラフ広間(Vladislav Hall)という大広間を見学しました。この広間は、多くの王室行事、戴冠式、議会開催などに用いられました。また、この広間の建築は、後のルネサンス建築に影響を与えるなど、ヨーロッパ全体においても重要な意味を持っています。

 とても素敵なカーブを描いた天井とシャンデリアの組み合わせが、洗練されていました。ここで、ダンスパーティーなども行われたのでしょうか? 

■聖イジー教会

  この教会は、もともとは920年にヴラディスラフ公によって建設されましたが火災で焼失し、1142年に再建されました。さらに、18世紀にバロック様式で改築されて現在に至っています。この大聖堂は、チェコ国内で最も重要な宗教的建築物の一つとされており、多くの王たちや聖人、主教がここで戴冠したり埋葬されたりしています。

 埋葬されているということで、しゃれこうべが…。この骨格から、どの様な顔をしていたか、現代の技術で再現できるそうです。

おどろおどろしいものを観たあとは、「黄金の小路へ」。


■黄金の小路

 この小路は、16世紀から17世紀にかけて建てられた小さな家々で並んでおり、その名前は、かつて金細工師がこの地域で働いていたことに由来するとされています。ただし、他にもさまざまな説があり、その名の由来は定かではありません。19世紀から20世紀にかけては、この小路には多くの文学者や芸術家も住んでおり、その中でも最も有名なのは、作家のフランツ・カフカです。彼は家族と共に、黄金の小路の一軒で数年間を過ごしました。

フランツ・カフカの家

 丁度旅行の直前にスイスのクライアントさんとのセッションがあって、カフカについて研究をしていたことがあると話していたので、さっそくゆかりの地を訪れることができました!現在は、カフカ・ショップになっています。そのほか、かわいらしい手作りのお土産屋さんなどがありました。


■カレル橋へ

 プラハ城からお散歩がてら、カレル橋の方へ。この光景、現地でみると映画の中にいるような気分になりました。

 カレル橋は、プラハ城と旧市街を結び、ヴルタヴァ川(Moldau)を渡っています。1357年にプラハの王で、後に神聖ローマ皇帝となるカール4世によって建設が始められました。また、カール4世は、プラハ大学(現在のカレル大学)を設立するなど、教育と文化の振興にも力を入れました。非常に教養があり、多言語に堪能な人物でした。その治世下で、彼は法の制定や貨幣制度の改革、さらには建築や芸術に至るまで多くの分野で業績を残しました。特にプラハ城を拡張し、聖ヴィート大聖堂の建設を始めたことは有名です。また、カレル橋は彼が建設を命じたものです。

 カレル橋は、ロマネスク様式とゴシック様式が融合した美しい設計で知られ、長さは約516メートル、幅は約10メートルです。橋には30体以上の聖人や宗教的なテーマの彫像が並んでいます。


■カレル橋のパワースポット!5つの星の聖人 ヨハネ・ネポムック

 こちら、横たわったおじさんの頭の上に5つの星があるオブジェなのですが、(笑)彼の名を聖ヨハネ・ネポムック(Saint John of Nepomuk)と言います。カレル橋(Charles Bridge)に並ぶ聖人の彫像の中で、最も有名です。彼は、プラハの守護聖人でもあり、1343年に神聖ローマ皇帝ヴァーツラフ4世によってヴルタヴァ川に投げ込まれて溺死しています。なのでチェコのどの橋にも、ヨハネ・ネポムックさんが祀られています。チェスキークルムロフの橋の上でもお会いしました。(笑)

 聖ヨハネ・ネポムックが五つの星に囲まれている姿が描かれている理由は、彼が水に沈む際に空に五つの星が現れたという伝説に基づいています。伝説によれば、聖ヨハネ・ネポムックは皇帝の告解の神父でしたが、皇帝の妻の告解の内容を皇帝に明かさなかったために殺されたとされています。

 この彫像は、人々が願い事をする場所としても知られており、多くの観光客がここで手をかざすなどして願い事をします。また、この場所は縁結びのパワースポットともされています。


 カレル橋を後にして、旧市街広場の時計台の12:00の鐘の音とからくり人形を見学してから、小高い上のほうのレストランで、ランチタイムです。既に歩数を稼いでおり、4時間ほどで1万歩歩いていました。70歳以上も多いツアーで、皆さん健脚です。


■チェコ料理


 最初のランチは、典型的なチェコ料理を楽しむことができました。クネドリーキという、白い蒸しパンはふわふわもっちりしていました。スヴィチコヴァー・ナ・スメタニェ(Svíčková na smetaně」」は、牛のサーロインと人参、根パセリ、根セロリ、玉ねぎなどをじっくり煮込んで、滑らかなソース状にした言わばシチューのような食べ物です。カレー味がしました。最後にパンケーキということで、ブルベリーソースと小麦のおかわりとなりましたね。

 先ほど歩いていたカレル橋があんなに向こうに見えます。昼食後は、いよいよチェスキークルムロフへ!170㌔のバスの旅です。

 ブログを書きながら、ガイドさんの話をその場では理解できなかったことが、クリアになっていく感覚、いいですね。ツアーガイ聖ヴィート大聖堂には入れなくて残念でしたが、ChatGPT4が描いてくれて、励まされました。(笑) 

 なんと言っても一番印象に残っているのは、カレル橋から落とされた聖ヤン・ネポムツキー(聖ヨハネ・ネポムック)です。川に沈んでいくときに、「5つの星が、ぱっと現れた」という伝説。現在、彼はパワースポットとして貢献中。いい話だな。(笑)


■Day 2 の動画です。

【編集後記】動画の編集に5時間くらいかかり、そのあとこちらの記事を書きまして、YouTuberとBloggerを兼業するのは時間がかかるものです。しかし動画だけでは、表現が限られてしまうので、こうして文字にすることの尊さも改めて実感したのでした。